公文書に見る 日米交渉 〜開戦への経緯〜
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人物(外務)
 ●本省
大橋忠一(おおはし ちゅういち)
明治26年(1893年)〜昭和50年(1975年)
  外交官。第二次近衛内閣当時の外務次官。昭和15年(1940年)11月に松岡外務大臣のもとで外務次官となり、日米交渉に携わりましたが、昭和16年(1941年)7月に退官します。同年12月から昭和17年(1942年)9月まで、蒙古連合自治政府最高顧問に就任しました。
山本熊一(やまもと くまいち)
明治22年(1889年)〜昭和38年(1963年)
  外交官。日米開戦当時のアメリカ局長。昭和15年(1940年)9月に松岡外務大臣のもとで東亜局長に就任し、昭和16年(1941年)10月には東郷外務大臣のもとでアメリカ局長を兼任して、日米交渉に携わりました。
 ●在外公館
大島浩(おおしま ひろし)
明治19年(1886年)〜昭和50年(1975年)
  陸軍軍人・外交官。日米開戦当時の駐ドイツ大使。昭和13年(1938年)に大使としてベルリンに赴任し、日独伊三国軍事同盟に関する交渉に携わりました。昭和14年(1939年)にいったん辞任しますが、昭和15年(1940年)に再び駐ドイツ大使に就任します。
来栖三郎(くるす さぶろう)
明治19年(1886年)〜昭和29年(1954年)
  外交官。日米開戦当時の特命大使。昭和15年(1940年)、駐ドイツ大使として日独伊三国軍事同盟調印に携わりました。昭和16年(1941年)11月から特命大使として、すでに渡米していた野村駐アメリカ大使を補佐して日米交渉に携わりました。
重光葵(しげみつ まもる)
明治20年(1887年)〜昭和32年(1957年)
  外交官。日米開戦当時の駐イギリス大使。昭和11年(1936年)から昭和13年(1938年)にかけて駐ソ連大使を務め、昭和13年10月からは駐イギリス大使としてロンドンに赴任します。日米開戦後の昭和17年(1942年)には駐中華民国(汪兆銘政権)大使を務め、昭和18年(1943年)には東条内閣の外務大臣に就任しました。
野村吉三郎(のむら きちさぶろう)
明治10年(1877年)〜昭和39年(1964年)
  海軍軍人・外交官。日米開戦当時の駐アメリカ大使。昭和14年(1939年)から昭和15年(1940年)の阿部信行内閣においては、外務大臣に就任します。昭和15年(1940年)10月に駐アメリカ特命全権大使となり、ルーズヴェルト米大統領やハル国務長官との交渉を行ない、日米交渉の打開に努力しました。
若杉要(わかすぎ かなめ)
明治16年(1883年)〜昭和18年(1943年)
  外交官。日米交渉開始当時の駐アメリカ公使。昭和12年(1937年)にニューヨーク総領事に就任しました。昭和16年(1941年)からは駐アメリカ公使として、野村大使を補佐して日米交渉に携わります。日米開戦後に帰国し、昭和18年(1943年)に病死しました。
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