公文書に見る 日米交渉 〜開戦への経緯〜
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 ●戦争指導班と『機密戦争日誌』
 戦争指導班は、昭和11年(1936年)の参謀本部の中に創設された通称「戦争指導課」(第2課)が、その始まりです。昭和12年(1937年)に戦争指導課は廃止され、新たに第2課となった参謀本部作戦課に所属する「戦争指導班」(第2課第1班)として改編されました。しかし、昭和15年(1940年)に、戦争指導班は作戦課を離れ、参謀次長が直轄する第20班となりました。  戦争指導班の任務は、長期的、総合的な観点から国策の企画および立案を行うことでした。とくに、昭和15年からは、大本営政府連絡会議に提出する議案の作成や審議に参加し、陸軍省や海軍省、軍令部、外務省などの部局との折衝を通じて、政治や外交、経済問題にかかわりました。そうした戦争指導班の具体的な業務については、班の職員が日常の業務を記述した業務日誌である『機密戦争日誌』に記載されています。また、『機密戦争日誌』には、業務の記録だけでなく、執筆を担当した職員の個人的感情も記されています。

〈戦争指導班(戦争指導課)の変遷〉

昭和11年(1936年) 6月: 参謀本部に戦争指導課(第2課)が創設される。
昭和12年(1937年)11月: 戦争指導課は廃止され、戦争指導班(第1班)として参謀本部の作戦課(第2課)に吸収される。
昭和15年(1940年)10月: 戦争指導班は作戦課を離れ、参謀次長の直轄の第20班となる。
昭和16年(1941年)12月: 日米開戦
昭和17年(1942年) 1月: 戦争指導班は参謀次長の直轄から離れ、参謀本部第1部(作戦部)の第15課になる。
昭和18年(1943年)10月: 再び、参謀次長の直轄の第20班となる。
昭和20年(1945年) 4月: 第20班は陸軍省軍務課と合併し、参謀本部の第12課となる。
昭和20年(1945年) 8月: 終 戦
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