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地域 | 台湾 |
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都市名 | 台北 |
解説 | 台湾総督府民政部殖産局1901(明治34)年11月の台湾総督府官制改正(勅令第201号)により民政部のもとに五局が設置されたが、殖産局はその一つであり、それまでの民政部殖産課の業務を引き継いだ。台湾総督府官房並民政部警察本署及各局分課規程によって(訓令第354号)、殖産局には農商課、拓殖課、権度課が置かれている。1905(明治38)年4月に分課規程が改正され(訓令第78号)、農商課、林務課、鉱務課、権度課の四課体制となった。1908(明治41)年7月、農商課はそれぞれ農務課、商工課に分割された(訓令第109号)。1910(明治43)年5月の台湾総督府官房並民政部各局及蕃務本署分課規程改正(訓令第108号)で、庶務課、農務課、商工課、林務課、鉱務課、権度課、移民課、林野調査課の八課体制となった。1911(明治44)年10月の官制改正(勅令第260号)による民政部の四局二署三部体制の移行後も、殖産局は民政部のもとで存続した。同月の台湾総督府官房並民政部各局署部分課規程(訓令第187号)では、同日に廃止された臨時台湾糖務局を吸収する形により、殖産局には糖務課が加えられて九課体制となった。1915(大正4)年4月には林野調査課が林野整理課に改称された(訓令第50号)。1918(大正7)年6月には権度課が水産課に改編された(訓令第95号)。1919(大正8)年3月には移民課が廃止され、農務課に編入された(訓令第23号)。同年6月には台湾総督府官房並民政部事務分掌規程(訓令第100号)によって林務課と林野調査課が廃され(林務課は営林局へ移管〔訓令第101号〕)、六課体制となった。同年8月、台湾総督府官制改正によって台湾総督府民政部が廃止されたため(勅令第393号)、台湾総督府民政部殖産局から台湾総督府殖産局となった(訓令第165号)。 |
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参考資料 | 勅令第201号は、A03020510400。訓令第354号は、台湾総督府『府報』第1054号、1901年11月11日、23-25頁。「各局分課規程中改正」、1905年3月31日(『台湾総督府档案』典蔵号:00001115021)。訓令第109号は、台湾総督府『府報』第2480号、1908年7月19日、46頁。訓令第108号は、台湾総督府『府報』第2964号、1910年5月22日、60頁。勅令第260号は、A03020914399。訓令第187号は、台湾総督府『府報』第3351号、1911年10月16日、44-47頁。訓令第50号は、台湾総督府『府報』第724号、1915年4月6日、16頁。訓令第23号は、台湾総督府『府報』第1793号、1919年3月29日、69頁。訓令第100号は、台湾総督府『府報』号外、1919年6月29日、1-4頁。訓令第101号は、台湾総督府『府報』号外、1919年6月29日、4頁。勅令第393号は、A03021268600。訓令第165号は、台湾総督府『府報』号外、1919年8月21日、1頁。 |
歴代長官 部局長等 |
新渡戸稲造・局長心得(1901年11月11日~1904年6月14日)/祝辰巳・財務局長兼務(1904年6月15日~1906年11月13日)/祝辰巳(1906年5月1日現在)/宮尾舜治(1907年3月31日~1910年9月15日)/高田元治郎(1910年9月15日~1921年9月17日) |