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地域 |
中国
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都市名 |
広東
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解説 |
第23軍は、援?ルート遮断のため北部仏印に進駐し、広東省・福建省沿岸封鎖作戦を行った南支那方面軍主力をもって1941年7月5日に編成された。8月15日、支那派遣軍総司令官隷下となる。太平洋戦争勃発後、南方作戦で香港攻略。米軍の太平洋進攻に伴い南支沿岸方面の対米戦備強化の必要性が高まるも、沖縄戦開始に伴いその可能性が英軍の香港奪回企図程度に局限されることとなったため、23軍は2個師団を南京に転用されつつ、広東および香港付近の要域を確保して英米軍・重慶軍の攻勢に備えていたところ、1945年8月18日に停戦命令が伝わった。広九鉄道(広東―九龍)以西の地区を中国陸軍戦区第2方面軍司令官張発奎麾下部隊に、以東の地区を第7戦区長官余漢謀麾下部隊に、香港地区をイギリス軍(司令官ハーコート)に警備および軍需品の移譲を実施し、軍の大部分は10月初旬頃(第104師団は12月中旬頃)までにそれぞれ連合国側指定の集中営に集結を完了。1946年4月17日に内地帰還のため広東省虎門出発、同23日浦賀入港、5月3日上陸、同22日復員式挙行、解散。戦犯容疑者として軍司令官陸軍中将田中久一以下533名が抑留された。
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参考資料 |
戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍<1>378~379頁、同<2>15~17頁外山操・森松俊夫編『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1993年、3巻、1275~1276頁Ref:
C13071146300、1~4画像目C12122445000、1~23画像目、C13071146300、1~4画像目。
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