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地域 |
中国
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都市名 |
源潭墟
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解説 |
1943年12月10日、第104師団第104歩兵団司令部を基幹として広東省番禺県石牌中山大学において編成に着手、翌1944年1月15日に第23軍司令部の戦闘序列に入り、東京・仙台・宇都宮各師団において編成された隷下部隊独立歩兵219・220・221大隊、独立歩兵第8旅団通信隊の到着を待ち、5月14日に旅団の編成完結。6月、湘桂作戦に参加。1945年2月26日に旅団司令部を清遠県源潭墟付近に置き、詔州以南広州北部までの粤漢鉄道と石龍付近広九鉄道の警備と龍眼陣地構築作業に従事していたところ終戦。逐次兵力を花県新街・増城県増城付近に集結し、10月初旬に広州市河南芳村地区の集中営に入る。集中営で復員業務の傍ら中国側の要求により各種作業に従事。1946年3月27日に独立歩兵220・221・222大隊が、4月1日に旅団司令部・同通信隊・独立歩兵第219・221大隊が出港するが、第一船中悪疫発生のため浦賀沖にて隔離。第二船は5月4日に浦賀上陸、7日復員式終了。第一船もその後上陸、復員した。終戦時の旅団長は陸軍少将加藤章。
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上位の階層 | |
参考資料 |
戦史叢書 昭和20年の支那派遣軍<2>444~445頁、C12122445300、18~20頁外山操・森松俊夫編『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1993年、3巻、1277頁
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