『写真週報』には貯蓄を奨励する広告も複数掲載されています。
日中戦争の開始以降、国債の償還や軍需産業への融資を円滑にするため国民に貯金が奨励され、昭和13年(1938年)4月18日にはこの業務を担当する部局として大蔵省に国民貯蓄奨励局が設置されるなど、貯蓄奨励が組織的に進められました。
資料1は、昭和13年(1938年)4月16日付で陸軍省副官から陸軍一般に発せられた通牒です。「貯蓄奨励に関する件」と題されたこの通牒では、各部隊の軍人軍属をはじめ、「製造補給官衙ニ於ケル工務員」や関連する民間軍需工場の従業員にも貯蓄奨励をおこなうことが伝えられています。
資料2は、昭和13年(1938年)6月15日付の『写真週報』18号です。この号は、「貯蓄報国号」と題され、国民への貯蓄の奨励が写真入りで特集されています。
資料3は、昭和15年(1940年)4月5日に国民貯蓄奨励局長官から枢密院書記官長に送付された「昭和十五年度国民貯蓄奨励に関する件」という文書です。この文書には120億円の貯蓄増加を目標とした国民への貯蓄奨励を行なうことを定めた「昭和十五年国民貯蓄奨励要項」が添付されています。
資料4は、昭和15年(1940年)5月22日に国民貯蓄奨励局長官から枢密院書記官長に送付された「百二十億貯蓄強調週間に関する件」という文書です。この文書には資料3にみた国民貯蓄奨励要項に基づいて定められた「百二十億貯蓄強化週間実施要綱」が添付されており、貯蓄奨励週間に行なわれた具体的内容などがうかがえます。以下に掲げた広告は、この120億円の貯蓄増加を目標とした国民貯蓄奨励の運動に関する広告です。 |