『写真週報』発刊直後の第6号には社団法人日本放送協会(現在のNHK)による「時局の認識はラヂオから」という広告が掲載されています。その後の第13号には同じく日本放送協会による「健康はラヂオ体操から」という広告が掲載されています。また第24号には「健康報国」として、「国民挙ってラヂオ体操」という広告が掲載されています。

 日本のラジオ放送は、大正14年(1925年)に開始され、翌大正15年(1926年)以降社団法人日本放送協会(現在のNHK)により独占的に担われていました。その後昭和に入ると、『写真週報』30号に掲載された日本放送協会の広告にも見られるように、放送を受信するラジオ受信機の普及率は上昇していき、特に日中戦争が始まった昭和12年(1937年)には急激な普及がみられました。そしてこのように普及していくラジオは、資料1として掲げた昭和15年(1940年)発行の『国家と放送』に見られるように、国家の政策の中で重要な位置を与えられていました。


 ラジオ体操は、昭和3年(1928年)に開始されました。その後昭和12年(1937年)7月1日には、資料2に見られる「国民心身鍛錬運動方案」が決定されました。その中では「ラヂオ体操の普及奨励」が重点項目となり、その普及により「国民の身体的鍛錬と精神的結合の強化に資する趣旨」から「従来より毎夏開催せられたる「ラヂオ体操の会」」の実施が運動の一端に位置づけられ、その上で「全小学校に於てラヂオ体操を実施すること」、「小学校児童は全部出席すること」などの実施事項が定められました。

 こうして政府により積極的に奨励されたラジオ体操については、翌年昭和13年(1938年)2月12日付の『写真週報』創刊号にも、以下のような印象的な写真が掲載されています。



 

Japan Center for Asian Historical Records