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地域 | 南洋群島 |
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都市名 | テニアン島 |
解説 | テニアン出張所はサイパン支庁のうち、テニアン島の製糖業の発展による人口増加のため、1933年5月10日に設置された支庁出張所。テニアン島およびアギーガン島一円を管轄し、出張所はテニアン島テニアン町に置かれた。出張所には庶務係と警務係が置かれ、支庁事務を分掌した。当初、出張所長には属または警部が充てられた。1943年11月4日に南洋庁北部支庁テニアン出張所に改編されたが、管轄は変わらず、支庁出張所内には庶務課と警務課が置かれた。1944年2月以降、戦況悪化に伴い婦女子の内地引揚が進み、米軍上陸前には約15,700名の一般居留民がいた。米軍の侵攻がはじまると、警務課長を中心に警防団が組織され、在郷軍人などと共に戦闘に従事した。10月中旬には米軍の掃討戦が進められ、約12,200名の民間人がチューロの元南洋興発直営農場に収容された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 南洋庁の官制については、A03021377500を参照。支庁の統合については、A03022875300を参照。テニアン出張所管内『情勢概要』については、D15020025800を参照。「南洋庁支庁出張所ノ名称位置及管轄区域」南洋庁令第7号、1933年5 月10 日(『南洋庁公報』第251号、1933年5月15日)。「南洋庁支庁出張所事務分掌規程」南洋庁訓令第12号、1933年5 月10 日(『南洋庁公報』第251号、1933年5月15日)。「南洋庁支庁及支庁出張所事務分掌規程」南洋庁訓令第43号、1937年8月21日(『南洋庁公報』号外、1937年8月21日)。「南洋庁支庁出張所ノ名称位置及管轄区域改正」南洋庁令第53号、1943年11月5日(『南洋庁公報』号外、1943年11月5日)。「南洋庁支庁出張所事務分掌規程改正」南洋庁訓令第64号、1943年11月5日(『南洋庁公報』号外、1943年11月5日)。南洋庁編『南洋群島要覧 昭和十八年版』(南洋庁、1943年)。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈1〉マリアナ玉砕まで』(朝雲新聞社、1967年、607-618頁・636-643頁)。 |
歴代長官 部局長等 |
羽山吉蔵(1933年5月10日~) |