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地域 | 南洋群島 |
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都市名 | コロール島 |
解説 | 南洋庁は南洋群島がヴェルサイユ条約において日本の委任統治地域となったことに伴い、南洋群島を統治するために設置された機関。第一次世界大戦時、日本海軍はドイツ保護領であった南洋群島を占領、1914年12月に臨時南洋群島防備隊を置いて軍政を布いた。1919年5月、パリ講和会議で赤道以北の旧ドイツ領を日本の委任統治領にすることが決定され、軍政を撤廃し、南洋庁を創設することになった。1922年3月に公布された「南洋庁官制」に基づき、パラオ諸島コロール島に設置された。当初、庁内には長官官房、内務部、財務部、拓殖部を置き、地方組織としてサイパン・パラオ・ヤップ・トラック・ポナペ・ヤルートの6支庁を置いた。長官は内閣総理大臣の指揮監督を承けたが、この指揮監督権は1929年6月に拓務省が新設されると拓務大臣に移り、1942年11月に大東亜省が新設されると大東亜大臣に移った。1943年11月、6支庁が廃され、東部・西部・北部の3支庁に統合された。1943年末から戦局の悪化に伴い、在留邦人の内地引揚がはじまり、1944年4月には「南洋群島戦時非常措置要綱」が出され、1944年末まで約1万6千人が帰還した。1945年9月になると米軍がコロール島に進駐し、日本の軍官民はすべてパラオ本島に移され、引揚まで食料生産などにあたった。9月下旬から引揚が始まり、1946年12月までにほぼ帰還した。なお、南洋庁の所管は1945年8月26日、外務省に移管され、南洋庁東京出張所が南洋庁残務整理事務所となり、1948年3月まで整理事務を担当した。 |
上位の階層 | 明治・大正・昭和(植民地・占領地) > 南洋群島 > 南洋庁 |
下位の階層 | |
参考資料 | 参考文献南洋庁の設置については、A03021377500を参照。軍政からの移管については、A01200193500、A01200210600を参照。拓務省への移管は、A01200589400を参照。大東亜省への移管は、A03010028300を参照。支庁の統廃合は、A03022875300を参照。「南洋群島戦時非常措置要綱」については、A03010201300を参照。外務省への移管は、A04017759000を参照。『南洋庁施政十年史』は、A06033513000を参照。戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年11月、721~722頁。厚生省援護局編『引揚げと援護三十年の歩み』厚生省、1977年10月、67頁、86~87頁。春田哲吉『日本の海外植民地統治の終焉』原書房、1999年9月、189~201・272~276頁。中村渉「戦後の私の南洋群島に関する仕事(1)~(7)」(『南洋群島協会会報』第21・22・24・26~29号、1963~1964年『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦〈1〉昭和十七年五月まで』、1~17頁。『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈2〉ペリリュー・アンガウル・硫黄島』43~65頁。『官報』第5045号、1943年11月5日、129頁。 |