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地域 | 樺太 |
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都市名 | ウラジミロフカ/豊原/豊榮 |
解説 | ウラジミロフカ支庁は1907年4月、コルサコフ、マウカの両支庁とともに設置された支庁。ガルキノウラスコエ出張所、シスカ出張所を管轄下に置いた。1908年4月、豊原支庁に名称を変更した。豊原支庁はウラジミロフカ支庁より引き続き、ガルキノウラスコエ出張所、シスカ出張所を管轄下に置いた。管轄下の出張所は管轄区域の改正に伴って変更され、1908年12月にシスカ出張所が敷香支庁に昇格。1909年10月には、管轄区域の変更でガルキノウラスコエ出張所が廃止され、豊原、大谷、栄浜の3出張所が新設された。豊原出張所は1913年2月に、大谷出張所は1913年6月に廃止され、同月中に元泊出張所が新設された。1922年10月、出張所制度廃止により栄浜出張所が廃止され、元泊出張所は元泊支庁に昇格した。1937年7月、豊原支庁は豊榮支庁に名称を変更した。豊榮支庁は1942年11月、行政簡素化に伴う支庁の再編で、大泊支庁、留多加出張所を統合し、豊原支庁として再編された。 |
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参考資料 | 「樺太庁支庁名称、位置及管轄区域」(『官報』第315号、1913年8月16日)。「樺太庁支庁ノ名称、位置及管轄区域左ノ通定ム」樺太庁告示第64号、1918年6月6日(『官報』第1768号、1918年6月25日)。「樺太庁支庁出張所ノ名称、位置及管轄区域左ノ通定ム」樺太庁告示第65号、1918年6月6日(『官報』第1768号、1918年6月25日)。「大正十一年十月樺太庁告示第二百二十三号(樺太庁支庁名称、位置及管轄区域)中左ノ通改正シ昭和十二年七月一日ヨリ之ヲ施行ス」樺太庁告示第143号、1937年7月1日(『官報』第3203号、1937年9月4日)。樺太庁『施政三十年史(上)』(明治百年史叢書223)、原書房、1973年(原著は1936年発行))、185-186頁。全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』1978年、419頁、422頁。 |
歴代長官 部局長等 |
秋元義親・支庁長心得(1907年5月1日現在)/秋元義親・支庁長心得(1908年5月1日現在)/神代澤身(1909年5月1日現在)/乗富慶之(1913年7月1日現在)/丹芳治郎(1920年7月1日現在)/堀安次郎(1925年1月1日現在)/河井智茂(1928年7月1日現在)/大橋髙四郎(1930年1月1日現在)/中村鷹祐(1932年7月1日現在)/千蔵保臣(1933年1月1日現在)/北村得三(1935年7月1日現在)/北村得三・豊榮支庁長(1937年7月1日現在)/薄木乕二郎・豊榮支庁長(1939年1月20日現在)/大森三之助・豊榮支庁長(1939年1月20日現在)/北村得三・豊原支庁長(1943年7月1日現在) |