トップページ > グロッサリー検索
地域 | 樺太 |
---|---|
都市名 | 豊原 |
解説 | 樺太庁鉱務課は1907年4月、樺太庁官制で第二部内に設置された課。1913年12月、第二部の拓殖部への改称に伴い拓殖部の所管となる。拓殖部が内務部へ統合された1914年11月以降は内務部の所管となったが、1918年6月の拓殖部設置に伴い再び拓殖部の所管となる。拓殖部が内務部へ統合された1924年12月、鉱務に関する事務は殖産課の分掌となるが、1927年6月、農林部が設置された際、殖産課から分離して内務部鉱務課となる。1932年2月に農林部の所管となり、農林部が殖産部に改称された1936年12月以降は殖産部の所管となる。1941年8月、鉱務課と鉱業課に分離され、鉱務課が行ってきた地質に関する事項、鉱物の分析、検定及び調査に関する事項は鉱業課の分掌となり、鉱務課は石炭生産力の拡充計画に関する事項や、重要鉱物増産法に関する事項、鉱業事務に関する事項等を分掌した。1943年4月、内地編入後の官制改正により経済部の所管となった後、1944年7月、経済第二部の設置に伴い、同部の所管となった。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 官制については、A03020704800(1907年3月)、A03020984900(1913年12月)、A03021020200(1914年11月)を参照。1941年8月の事務分掌規程については、B14090063300(1941年8月)を参照。内地編入後の官制改正についてはA03022809000(1943年3月)を参照。「樺太庁事務分掌規程左ノ通定ム」樺太庁訓令第21号、1918年6月6日(『官報』第1768号、1918年6月25日)「樺太庁事務分掌規程中左ノ通改正ス」樺太庁訓令第354号、1927年6月29日(『官報』第239号、1927年10月13日)「樺太庁事務分掌規程中左ノ通改正ス」樺太庁訓令第31号、1932年2月11日(『官報』第1575号、1932年4月2日)樺太庁『樺太庁施政三十年史(上)』(明治百年史叢書223)、原書房、1974年(原著は1936年発行)、159-162頁。社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』1978年、350-352頁。 |
歴代長官 部局長等 |
可野信一・内務部鉱務課長(1929年8月1日現在)/可野信一・殖産部鉱務課長(1937年1月1日現在)/川崎勝・殖産部鉱務課長(1939年7月1日現在) |