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地域 | 朝鮮 |
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都市名 | 水原 |
解説 | 前身は、1906年8月に韓国政府が創立した農商工部所管農林学校で、1910年10月1日の官制改革により、朝鮮総督府農林学校として、朝鮮総督府勧業模範場に附置されることとなった。1915年2月改正の朝鮮総督府農林学校規則によれば、同校の目的は、農林業に須要なる智識ならび技能を教授し兼ねて徳性を涵養することであった。修業年限3年の本科と、就業年限1年以内の速成科があり、本科の定員は120名、速成科の定員は、設置時に朝鮮総督が定めることとなっていた。授業料は無料。学校長の許可を受けた者以外は、寄宿舎に入ることとなっていた。校舎は、京畿道水原郡西屯村勧業模範場の隣地にあった。用地面積は3万7057坪。敷地には、水田(1199坪)、畑(7336坪)、林地(1万1746坪)、林木見本園(2076坪)、植物園(643坪)、蚕室(150坪)、庁舎(6676坪)、官舎(4476坪)、道路(1903坪)、溝渠および斜地(852坪)があった。本科の学科目は、修身、国語、数学、理科、博物、土壌学、土地改良論、肥料学、農具学、作物論、畜産学、蚕糸学、農産製造学、作物病虫学、林学通論、農林生産学、農林経営学、測量、経済および法規、だった。職員は、校長、教諭7名、助教諭6名、書記1名、嘱託1名だった。1918年3月30日の勅令第48号により、朝鮮総督府農林学校は、朝鮮総督府水原農林専門学校と改称された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | アジ歴:C02030813100。『朝鮮総督府水原高等農林学校一覧』1931年(国立国会図書館でインターネット公開)。 |
歴代長官 部局長等 |
1915年当時の校長は、本田幸介(勧業模範場長、農学博士)。 |