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地域 | 朝鮮 |
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都市名 | 京城 |
解説 | 社会課は内務局の一課として設置された。それまで内務局には社会事業を掌った第2課があったが、1921年7月の改編で第2課は社会課となった。「賑恤及び慈善に関する事項」をはじめとした「社会事業、地方改良、郷校財産管理、水利組合」を扱った。「地方改良」とは社会教化と称したもので、朝鮮語に精通した者を指導者とし、勤倹貯蓄の奨励などを講じて地方を巡回したことをいう。「郷校」は朝鮮の地方に設けられた儒学校であり、建物や土地が主な財産である。1932年2月、社会課は学務局へ移管され、これまでの感化院や済生院をはじめとした社会事業や、青少年訓練、社会教育などを掌るとともに、宗教課の業務を継承し、宗教や古蹟に関する業務も扱った。1936年10月に社会教育課が新設されると、社会課は再度内務局へ移された。社会教育に関する事項が外され、救恤、労働、児童保護を扱ったが、1941年3月に労務課が新設されたことで労働に関する事項が外され、新たに「軍事保護」が加わった。同年11月、社会課は新設の厚生局に移ったが、翌1942年11月の改編で司政局に戻った。1943年12月には再度学務局に移り、「軍事保護、救護及び救療、住宅、社会福利、済生院及び感化院、その他社会事業」を掌ったが、1945年4月に援護課に改称された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「朝鮮総督府事務分掌規程改正」朝鮮総督府訓令第45号、1921年7月27日(『朝鮮総督府官報』号外1921年7月27日)「朝鮮総督府事務分掌規程改正」朝鮮総督府訓令第13号、1932年2月13日(『朝鮮総督府官報』1932年2月13日)「朝鮮総督府事務分掌規程改正」朝鮮総督府訓令第31号、1936年10月16日(『朝鮮総督府官報』号外1936年10月16日)「朝鮮総督府事務分掌規程改正」朝鮮総督府訓令第23号、1941年3月13日(『朝鮮総督府官報』号外1941年3月13日)「朝鮮総督府事務分掌規程改正」朝鮮総督府訓令第54号、1942年11月1日(『朝鮮総督府官報』号外1942年11月1日)『増補朝鮮総督府三十年史』(朝鮮総督府編、クレス出版、2001年) |
歴代長官 部局長等 |
初代外事部長 松澤龍雄初代外務課長 田中保太郎初代拓務課長 辻桂五 |