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地域 |
仏領インドシナ
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都市名 |
ハノイ
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解説 |
第38軍の前身は、1943年11月10に編成された印度支那駐屯軍である(大陸命第713号)。1944年12月20日、連合国軍の反攻にともなう防衛強化のため改編され第38軍と改称。1945年3月の明号作戦により、フランス植民地政府軍を武装解除する。終戦時の司令官は、陸軍中将土橋勇逸。1945年9月、仏領インドシナの領域のうち北緯16度以北は蒋介石の中国軍に、北緯16度以南はイギリス軍の管理に属することとなる。北部16度以北には、軍司令部、第21師団、独立混成第34旅団主力の約30,000名が駐留。一方、北緯16度以南には、第2師団、第55師団の約54,000名が駐留。軍司令部が所在した北部の復員は1946年4月12日の練習巡洋艦鹿島の出港から始まり、5月にはおおむね完了。司令部をはじめとする主力の復員は1946年4月から5月にかけて、リバティ船9隻、病院船9隻をもって実施。ハイフォンおよびサンジャック(現ブンタウ)から出港し、浦賀、名古屋、鹿児島などに上陸した。陸軍将兵のほかに、海軍将兵および民間人の復員・引揚げも並行して実施。また、終戦後逃亡者が続出し、348人は帰還しなかった。そのなかには、ベトナムの独立運動に協力した者もいた。
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参考資料 |
アジ歴Ref:C12122455900、2画像目。C15010235600全画像。C15010235700全画像。
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