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地域 |
海南島
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都市名 |
海南島
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解説 |
1939年2月、援?ルート遮断のため海南島を占領した第5艦隊第4根拠地隊は、支那方面艦隊の改編に伴う支那方面艦隊の改編によって同年11月に第2遣支艦隊附属海南島根拠地隊に再編され、海南島に残存する重慶軍の保安団・遊撃隊、共産軍の掃討、華南における諸作戦の後方支援を行った。1940年9月の北部仏印進駐後に海南島の南進基地としての価値が高まったことから、1941年4月10日に海南根拠地隊は海南警備府に昇格し、支那方面艦隊司令長官の直轄となる。この時海南警備府の指揮下に入った海南海軍特務部を通じて海南島の軍政を行い、台湾総督府から人的・技術的支援を受けつつ鉱産および農林業に重点を置いた経済開発を行った。1945年5月以降の航空兵力の引揚げと海上交通の途絶により孤立し、単独で対米作戦準備を行っていたところ終戦。最後の司令長官は佐賀啓次郎中将。海軍警備府司令部は9月1日に三亜より海口に移転して接収に備え、三亜には主席参謀海軍大佐佐藤豊三郎が残留して接収主管に任じた。10月5日、中国陸軍第2方面軍粤桂区総司令部前進指揮所(主任は中国陸軍中将朱暉日)が海口に進出して接収開始、海南警備府司令部は瓊崖日本官兵善後連絡部と改称され、海口において中国軍との折衝にあたった。1946年4月6日田辺着にて海南警備府長官以下の引揚完了。三亜に残留した司令部人員は11月2日に楡林に設置された新編第19師司令部の接収を受け、12月8日に安遊集中営に集結。海南島南部にはリバティー4隻が配船され、1946年3月27日までに引揚完了。
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参考資料 |
『戦史叢書79中国方面海軍作戦<2>昭和13年4月以降』121~122、241、440、464~465、494~498頁、坂本正器、福川秀樹編著『日本海軍編制事典』芙蓉書房、2003年、489頁
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