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地域 |
中国
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都市名 |
済南
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解説 |
第43軍は1945年1月支那派遣軍が山東半島の対米作戦準備を発令したのに伴い、山東半島での戦備のため、4月済南において編成された。北支那方面軍戦闘序列に入り、対米戦闘の準備のため、済南、青島、日照地区などで陣地構築、警備に当たった。最後の軍司令官は陸軍中将細川忠康。司令官は9月10日日本官兵善後連絡部青島済南地区連絡部長となり、第11戦区副長官の李延年が降伏受諾事務を担当した。終戦後も山東半島の警備に当たり、軍民の復員帰還作業に従事。10月25日降伏調印式。1946年3月から青島に移転、4月まで復員業務の指導管理に当たった。5月までにほぼすべてが復員、7月25日、復員完結。
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参考資料 |
『戦史叢書 北支の治安戦〈2〉』、541~542頁、554~555頁
『戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍〈2〉終戦まで』、551~555頁
中国派遣軍残務整理部編『支那派遣軍復員本部の歴史』「附録 復員完結日一覧表」、9頁(『復員関係史料集成』第1巻、ゆまに書房、2009年9月)。
「中国戦区日本官兵善後処理事項」档案影像7-4、5画像目(http://alohas.archives.gov.tw/38/search.html)
アジ歴Ref:C12122434100、1~2画像目。C13031949700、1~19画像目。
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