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Area |
China
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City name |
Beijing
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Commentary |
北支那方面軍は盧溝橋事件後、戦争終結の動機獲得に向けて、華北での会戦に備えるために創設された。1937年8月、支那駐屯軍が第1軍に改編され、第2軍が創設されるに伴って、これらを統括するために当初、天津において編成された。11月、大本営隷下となり、1938年1月、北京へ移転、1939年9月、新設された支那派遣軍の隷下に入った。北京において、華北蒙疆地区の現地政権の「育成強化」、および当該地の治安警備にあたった。終戦時の軍司令官は陸軍大将下村定であるが、8月19日に陸軍大臣に任命されたため、駐蒙軍司令官の陸軍中将根本博が兼任した。終戦後は華北と一部蒙疆地区において被接収業務および軍民の帰国輸送全般の統轄処理にあたった。司令官は9月10日、日本官兵善後連絡部平津保地区連絡部長となり、第11戦区長官の孫連仲が降伏受諾事務を担当。部隊の一部は天津などで復員援護業務に従事しながら、1945年11月以降、数次にわたり帰国、復員している。部隊最終主力人員は1946年6月29日、北京を出発し、30日、天津貨物廠に集結。8月10日に天津を出発し、塘沽から乗船、11日に塘沽を出港、21日、佐世保に上陸し、復員した。10月1日、復員完結。
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Reference materials |
『戦史叢書 北支の治安戦〈1〉』、25~29頁
『戦史叢書 北支の治安戦〈2〉』、123~126頁
『戦史叢書 大本営陸軍部〈1〉昭和十五年五月まで』、470~474頁、613~616頁
『戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍〈2〉終戦まで』、570頁
中国派遣軍残務整理部編『支那派遣軍復員本部の歴史』「附録 復員完結日一覧表」、5頁(『復員関係史料集成』第1巻、ゆまに書房、2009年9月)。
宮崎舜市「支那派遣軍の終戦並復員概況」(臼井勝美・稲葉正夫編『現代史資料』第38巻〈太平洋戦争4〉、みずす書房、1973年2月、465~499頁)。
「中国戦区日本官兵善後処理事項」档案影像7-4、5画像目(http://alohas.archives.gov.tw/38/search.html)
アジ歴Ref:C12122435300、1~3画像目。C11110927300、1画像目、17画像目。
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