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Area |
China
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City name |
Zhengzhou
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Commentary |
第12軍は華北占領地域の治安回復、長期自給の確保という「対支処理方策」に基づき、1937年11月北支那方面軍内(北京)において編成された。1938年11月司令部を山東省済南市に移し、山東省と安徽省・河南省の北部地域の警戒にあたった。1944年3月華北と華南を結ぶ京漢鉄道を確保することを目的に大陸打通作戦(一号作戦)が開始され、第12軍は作戦指導のため河南省覇王城、ついで鄭州に司令部を移転した。以後、河南省地域の警備を担当。最後の軍司令官は陸軍中将鷹森孝。1945年8月終戦後、25日支那派遣軍の復員が命じられ、復員処理のため司令部要員を鄭州と連雲海州に分置。司令官は9月10日日本官兵善後連絡部新?地区および?城地区連絡部長となり、22日鄭州において第1戦区長官の胡宗南に投降(?城地区は第5戦区長官の劉峙が投降受理主管)。連雲出張所は1946年5月3日連雲港を出港、10日に博多に上陸、同日除隊召集解除。ほかは上海経由で帰国、7月25日に復員完結。
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Reference materials |
『戦史叢書 北支の治安戦〈1〉』、99~114頁
『戦史叢書 北支の治安戦〈2〉』、487~502頁
『戦史叢書 一号作戦〈1〉河南の会戦』、1~628頁
中国派遣軍残務整理部編『支那派遣軍復員本部の歴史』「附録 復員完結日一覧表」、7頁(『復員関係史料集成』第1巻、ゆまに書房、2009年9月)。
「中国戦区日本官兵善後処理事項」档案影像7-4、5画像目(http://alohas.archives.gov.tw/38/search.html)
アジ歴Ref:C12122433200、40~44画像目。C01005799200、1~33画像目。
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