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Area |
China
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City name |
Zhangjiakou
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Commentary |
駐蒙軍は蒙疆地域の安定を図るため編成された駐蒙兵団を前身とする。駐蒙兵団は1938年1月第26師団を基幹として張家口において編成された。大本営直轄の兵団で、主に内蒙古、察南及び晋北地方の警備に当たった。7月駐蒙軍に改編され、北支那方面軍戦闘序列に編入、蒙疆での政務指導及び警備に当たった。1943年以降、対ソ作戦準備に入り、1945年2月以降は対ソ戦を第一義に陣地構築を行っていた。最後の軍司令官は陸軍中将根本博(8月19日に北支那方面軍司令官を兼任)。8月9日対ソ戦闘開始、15日終戦により戦闘を停止するもソ連軍の攻撃が止まず停戦交渉に至らないため、21日まで戦闘を続行、その間に居留民を撤退させた。21日南口に到着、以後、北平において復員業務に従事した。司令官は9月10日日本官兵善後連絡部包綏地区連絡部長となり、第12戦区長官の傅作義が降伏受諾事務をおこなった。11月28日北平発、29日天津貨物廠に集結し帰還準備。12月3日一部将校を除いて、塘沽出帆。8日佐世保上陸、復員。1946年1月から2月に参謀全員が佐世保に帰還。7月22日、復員完結。
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Upper level hierarchy |
Showa (Post World War 2 Period) > Station Place of Japanese Army and Navy at the End of WW2 (Except for Honshu, Kyushu,
Shikoku) > Mainland China > Imperial Japanese Army > China Expeditionary Army (Ei) > North China Area Army (Ko) > Stationary Force in Mongolia (Jutsu)
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Lower level hierarchy | |
Reference materials |
『戦史叢書 北支の治安戦〈1〉』、57~62頁、163~175頁
『戦史叢書 北支の治安戦〈2〉』、68頁、371~376頁
『戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍〈2〉終戦まで』、551~555頁
中国派遣軍残務整理部編『支那派遣軍復員本部の歴史』「附録 復員完結日一覧表」、11頁(『復員関係史料集成』第1巻、ゆまに書房、2009年9月)。
「中国戦区日本官兵善後処理事項」档案影像7-4、5画像目(http://alohas.archives.gov.tw/38/search.html)
アジ歴Ref:C12122434600、46~47画像目。
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