明治から大正期に活躍した政治家・陸軍軍人です。 日本陸軍の創設に貢献し、日清戦争と日露戦争では日本軍の司令官として出征しました。 大正5年(1916年)に74歳で没。
 大山巌に関する資料は、当アジア歴史資料センターに収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします
   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「大山巌」と入力して
   「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。

 この方法で「大山巌」をキーワードにして検索すると、1,732件の資料が一覧表示されます。 また「大山元帥」「大山大臣」などをキーワードとして入力したり、年代を特定して検索していただくと、更に別の資料を閲覧できます。

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出  来  事
天保13年
(1842年)
現鹿児島県鹿児島市の加治屋町に生まれる
文久3年
(1863年)
薩英戦争(薩摩藩とイギリスとの戦争)に従軍
慶応4年
(1868年)
戊辰戦争に従軍
明治10年
(1878年)

西南戦争に従軍
 明治3年(1870年)から 明治7年(1874年)にかけてヨーロッパに留学した大山巌は、この頃から陸軍の要職に抜擢されます。

表 題:海外留学生大山厳外六名ヲ参謀局ノ所管トス
レファレンスコード:A03023105700
 明治7年、フランス留学中の大山巌が参謀本部の前身にあたる参謀局に配属されたことを示す公文書です。
(国立公文書館所蔵)

明治13年
(1880年)

陸軍卿に就任、その後から陸軍大臣・参謀本部長を歴任

表 題:清国ヘ派遣ノ斎藤幹手当金ノ件
レファレンスコード:A01100196100
 陸軍卿(後の陸軍大臣に相当)に就任した大山巌の、ごく初期の業務内容についての資料です。
(国立公文書館所蔵)

明治27年
(1894年)

日清戦争に従軍
 日本軍は、開戦初頭で、朝鮮にいた清国陸軍との戦いに勝利しました。 日本は続いて中国本土への攻撃を行うため、第一軍・第二軍を編成しました。
(『坂の上の雲』文庫版第2巻、88頁)

表 題:第二軍司令官陸軍大将従二位勲一等伯爵大山巌ヘ陸軍進級令ニ依リ部下上長官以下進級補除ノ権御委任ノ件
レファレンスコード:A03023061900
 第二軍司令官として出征中の大山大将に、部下の昇進や降格についての権限を委任するという通達です。
(国立公文書館所蔵)

明治32年
(1899年)
元帥に昇進
参謀総長に就任
明治35年
(1904年)

日露戦争に従軍
 大山巌が司令官となった満州軍の最初の目標は、遼陽でした。 遼陽をめぐる戦いは、日本軍が占領した9月4日以後も続き、日本軍はロシア軍を北に追いやったとはいえ大きな痛手を被りました。
(『坂の上の雲』文庫版第4巻、97〜150頁)

表 題:衆議院の議決に対する謝辞の件
レファレンスコード:C03025893800
 大山元帥が率いる日本軍は、この年の9月に遼陽を占領しました。 衆議院がその功績を称えて軍に感謝状を送った際に、大山が議会に対して謝辞を述べた模様を伝える文書です。
(防衛省防衛研究所所蔵)

大正5年
(1916年)
没(74歳)