第一次内閣の外相として日英同盟・日露戦争の際の外交交渉を担いました。 明治38年(1905年)8月、ポーツマスでの日露講和会議に際し全権大使となります。 その後は、第二次桂内閣の外相もつとめ、明治43年(1911年)に日米通商航海条約を調印して関税自主権の回復を実現しました。 明治44年(1911年)11月26日没。 享年57歳。
 小村寿太郎に関する資料は、当アジア歴史資料センターに多数収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

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   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
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 この方法で「小村寿太郎」をキーワードにして検索すると、560件の資料が一覧表示されます。 また旧字体である「小村壽太郎」と入力すると合わせて807件の資料が表示されます。表示される資料があまりにも多い場合は、「小村公使」「小村外務大臣」などと入力したり、年代を特定することでさらに絞り込むことができます。

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出  来  事
安政2年
(1855年)
現宮崎県に生まれる
明治26年
(1893年)

外相陸奥宗光により在清国公使官勤務を命じられ、11月末臨時公使として北京に着任
(『坂の上の雲』文庫版第2巻、35〜45頁)

表 題:日清韓交渉事件記事
レファレンスコード:B03030190300
 日清戦争における日本と清国とのやり取りの概略とそれに関する文書が含まれています。 5画像目の日本から清国への照会文の中に、小村寿太郎の名があります。
(外務省外交史料館所蔵)

明治29年
(1896年)
朝鮮内政の共同監督を目的とする日露協約( 小村・ウェーバー協定 )に調印
明治34年
(1901年)
第一次内閣の外相に就任
明治35年
(1902年)

日英同盟に調印
(『坂の上の雲』文庫版第3巻、100〜101頁)

表 題:明治33年10月16日から明治40年7月30日(満蒙建設関係雑纂 第二巻)
レファレンスコード:B02032052300
 第1回から第3回の日英同盟条約の前文や日露協約、高平・ルート協定等が含まれています。
(外務省外交史料館所蔵)

明治38年
(1905年)

8月10日より、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ポーツマスにおける日露講和会議に全権公使として出席

表 題:日露講和条約締結ニ関スル全権御委任状ヲ御下付アラセラル
レファレンスコード:A01200227100
 日露講和会議における全権代表に小村寿太郎外務大臣と高平小五郎駐アメリカ公使を任命した際の、全権委任状下付の上奏書です。
(国立公文書館所蔵)

9月5日、日露講和条約調印

表 題:御署名原本 日露両国講和条約及追加約款
レファレンスコード:A03020652300
 明治天皇が批准した日露講和条約の原本です。 2画像目には全権委任代表として ポーツマスに派遣された小村寿太郎と高平小五郎駐米公使の名があります。 12画像目にある調印の日付8月23日はロシア暦(ユリウス暦)の日付です。 グレゴリウス暦ではこれに13日を加えた9月5日となります。
(国立公文書館所蔵)

明治44年
(1911年)
没(57歳)