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岩倉使節団が滞在した場所や訪問先などについて、久米邦武『特命全権大使米欧回覧実記』など各資料を参照して作成しました。人名や地名、施設や組織の名称は、現在一般に使用されている表記法によりましたが、一部『米欧回覧実記』の表現をそのまま用いた個所があります。また、1850~70年代の日本国内・東アジア・世界の動きをまとめた年表により、使節団が派遣された時代状況がわかるようにしました。
西暦 | 日本国内の動き | 東アジアの動き | 欧米の動き |
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1858年 | 安政五ヶ国条約 安政の大獄が始まる | (沿)清朝とロシアの間で愛琿条約調印、ロシアによるアムール河左岸領有 (越)フランス・スペイン連合軍によるダナン上陸・占領 (中)清朝と英仏米露の間で天津条約調印 | |
1859年 | (越)フランス軍によるサイゴン占領 | ||
1860年 | 遣米使節が品川を出発 桜田門外の変 | (沿)6月にロシア海軍の輸送船「マンジュール」号が金角湾に接岸し、上陸部隊が金角湾岸を占領。11月には清朝とロシアの間で北京条約が調印され、ロシアがウスリー河右岸・沿海地方を領有 | |
1861年 | 対馬事件 水戸浪士によるイギリス公使館襲撃(第一次東禅寺事件) 遣欧使節が品川を出発 | (中)総理各国事務衙門 (朝)ロシア艦隊が元山に来航し通商を要求 (中)同治帝即位、西太后・東太后による垂簾聴政開始 | (露)農奴解放令が発布される。 (伊)イタリア王国が成立(ヴェネト地方とローマを除く) |
1862年 | 生麦事件 | (越)第1次サイゴン条約調印、コーチシナ東部3省割譲・フランスへの3港を開港・キリスト教布教の承認 | (普)ビスマルクがプロイセン王国首相に就任、議会で「鉄血演説」を行う |
1863年 | 下関事件 薩英戦争 八月一八日の政変 | (柬)カンボジア・ノロドム王がフランスの保護条約に調印 (中)上海共同租界成立 (朝)大院君による政権掌握 | |
1864年 | 禁門の変 四国艦隊による下関上陸 | (朝)ロシアが慶興府使に通商を要求 (中)『万国公報』発刊 | (欧)第1インターナショナル結成 |
1865年 | 条約勅許 | (米)南北戦争終結、直後にリンカーン大統領が暗殺される | |
1866年 | 薩長盟約 第二次幕長戦争 徳川昭武一行がパリ万博参加のため横浜を出発 | (朝)1月に天主教徒の南鐘三・洪鳳周・フランス人ベルヌ―神父ら9名の宣教師が処刑される(丙寅迫害)。7月には米国商船ジェネラル・シャーマン号が大同江を遡上し、平壌で砲撃を受け全焼する事件が起きる。9月にはフランス艦隊による江華島占領により丙寅洋擾が勃発するが、梁憲洙率いる朝鮮軍が鼎足山城でフランス軍を撃破し、11月にフランス軍が江華島から撤退 | (普・墺)普墺戦争。プロイセン軍がオーストリア軍を破る (米・欧)大西洋を横断する電信ケーブルが米・英間で完成 |
1867年 | 大政奉還 王政復古 | (越)フランスがコーチシナ全域を併合 | |
1868年 | 戊辰戦争が始まる 王政復古について通告する国書を各国に送付 | (英)第1次ディズレーリ内閣が総辞職し、第1次グラッドストン内閣が成立 | |
1869年02月 | (朝)朝鮮政府、日本から送られた王政復古国書の受け取りを拒否 | ||
1869年03月 | (米)グラントが大統領に就任 | ||
1869年05月 | 戊辰戦争が終結 | (米)初のアメリカ大陸横断鉄道が全通 | |
1869年06月 | 版籍奉還 | ||
1869年08月 | 北海道設置 | (英)ヴィクトリア女王の第2王子アルフレッドが訪日、明治天皇と会見 | |
1869年11月 | (英・アフリカ)スエズ運河開通 | ||
1870年01月 | (仏)エミール・オリヴィエ内閣成立、立法議会の権限強化を進める | ||
1870年02月 | 山口にて脱隊騒動が起きる | ||
1870年03月 | (米)人種等にもとづく合衆国市民の投票権制限を禁じた憲法修正第15条が発効 | ||
1870年05月 | (朝)日本駐在ドイツ代理公使ラントが釜山に入港し通商を要求 | ||
1870年07月 | (米)ジョージア州が連邦に復帰、アメリカ南部諸州(旧南部連合)の合衆国復帰が完了 (仏・独)普仏戦争(独仏戦争)開戦 | ||
1870年08月 | 民部・大蔵両省を分離 | ||
1870年09月 | (仏)第2共和制が成立、新たな国防政府は戦争継続を決定 (仏・独)普仏戦争でナポレオン3世がプロイセン軍の捕虜となる | ||
1870年10月 | 藩政改革の布告 | (伊)ローマおよび教皇領がイタリアに併合される | |
1870年11月 | (西)イタリア国王の2男アマデオ1世がスペイン国王に即位、翌年1月にスペイン入国 | ||
1870年12月 | 工部省が設置される | ||
1871年01月 | (独)プロイセンを中核とする連邦国家「ドイツ帝国」成立 (仏・独)パリ陥落、普仏間の戦闘が停止(2月に仮講和条約に調印) | ||
1871年02月 | 海外留学生規則 | ||
参議広沢真臣、暗殺される | |||
1871年03月 | 東京―京都―大阪間で郵便が開始される | (露)ロンドン会議で黒海での軍事基地建設が認められる (仏)パリ・コミューン成立、国防政府はヴェルサイユに移転 | |
1871年04月 | (朝)駐清米公使ローが海軍提督ロジャースとともに軍艦5隻を率いて通商を要求 | (独)ドイツ帝国議会が憲法を採択 | |
1871年05月 | (仏・独)フランクフルト講和条約、フランス(ヴェルサイユ国防政府)がアルザス・ロレーヌをドイツに割譲 (伊)教皇保障法成立、教皇の地位保全が図られるも教皇ピウス9世は拒否 (仏)パリ・コミューン崩壊 | ||
1871年06月 | 新貨条例 樺太境界協議のため、参議副島種臣を露国に派遣 | (朝)米軍隊が江華島広城堡を占領、鎮撫使中軍・魚在淵らが戦死(辛未洋擾) | (英)労働組合法制定 |
1871年07月 | 条約交渉のため、欽差全権大使伊達宗城を清国に派遣 | (伊)ローマに遷都 | |
1871年08月 | 日布修好通商条約が調印される 廃藩置県 | (中)長崎―上海間の海底電線敷設完成 | (仏)ティエールがフランス大統領に指名される (英)ヴィクトリア女王が発病(~11月) |
1871年09月 | 正院・左院・右院が設置される(太政官三院制の開始) 日清修好条規が調印される | (中)日清修好条規調印 | |
1871年10月 | 留守官が廃止される | ||
1871年11月 | (英)エドワード王太子が腸チフスに罹患(~12月14日) (独)ビスマルクがカトリック勢力との「文化闘争」を開始 | ||
1871年12月 | 琉球漂流民殺害事件 大嘗祭が挙行される | ||
1872年01月 | 県治条例 | ||
1872年04月 | 兵部省が廃止され、陸軍・海軍両省が設置される 神祇省が廃止され、教部省が設置される | ||
1872年05月 | (西)第3次カルリスタ戦争(王位継承戦争)始まる(~1876年2月) (米)特赦法で旧南部連合指導者を赦免 | ||
1872年06月 | 明治天皇、西国巡幸に出発 | ||
1872年10月 | 新橋―横浜間で鉄道営業が開始される 琉球に琉球藩が設置される | ||
1872年11月 | 富岡製糸場が操業を開始する | ||
1872年12月 | 太陽暦採用の詔 徴兵の詔 | ||
1872年?月 | マリア・ルス号事件 | (千島)南千島諸島を千島国として開拓使根室支庁の管轄とする | |
1873年01月 | 改暦(この日を明治6年1月1日とする) | (仏)前皇帝ナポレオン3世がイギリスで死去 | |
1873年02月 | キリシタン禁制の高札が撤去される(事実上のキリスト教解禁) 佐野常民ら、ウィーン万博参加のため渡欧 台湾事件協議のため、外務卿副島種臣を清国に派遣 | (西)スペイン第1共和制成立 | |
1873年03月 | (英)アイルランド大学法案をめぐり政界が紛糾、グラッドストーン首相が辞任するも後任決まらず再任される | ||
1873年04月 | (蘭・東南アジア)オランダ、スマトラ征服を開始(アチェ戦争~1914年) | ||
1873年05月 | 太政官潤飾 皇居・太政官庁舎が炎上 | (墺)ウィーン万国博覧会開幕(~11月2日) (欧州)ウィーンで1873年不況起こりヨーロッパ各地に波及 (仏)国民議会がティエール大統領を解任、後任は王党派のマクマオン元帥(~1879年) | |
1873年06月 | 第一国立銀行が設立される | (朝)釜山・草梁倭館の日本人が東莱に侵入、朝鮮政府が倭館を撤廃し日本との国交を一時中断 | (アフリカ)エジプト、オスマン・トルコから広範な自治権を認定される (英・アジア)ペルシャ皇帝ナーセロッディーン・シャーがヴィクトリア女王に謁見 |
1873年07月 | 地租改正条例 | ||
1873年08月 | 参議西郷隆盛、征韓意見書を提出 | ||
1873年10月 | 征韓論政変が起きる | (越)フランス軍によるハノイ城占拠 | (独・露)独露と露墺の軍事協定が独・墺・露三帝協商に発展 |
1873年11月 | 内務省が設置される | (朝)崔益鉉が大院君を弾劾し済州島へ流刑される | (東南アジア)タイでラーマ5世チュラーロンコーンの親政開始、在位中に近代化政策(チャクリー改革)を推進 |
1873年12月 | 海外留学生全員の一時帰国を通達 | (越)清・黒旗軍が来援しフランス軍を撃破 | |
1874年01月 | 右大臣岩倉具視暗殺未遂事件が起きる(喰違の変) 東京警視庁が設置される 板垣退助ら、民選議院設立建白書を提出 | ||
1874年02月 | 佐賀の乱が起きる 参議大久保利通ら、蕃地処分要略を閣議提出 | (英)ディズレーリ内閣が成立 | |
1874年03月 | 秩禄公債証書発行条例 | (越)フランス・ベトナム条約調印、コーチシナ6省を割譲 | |
1874年04月 | 立志社が結成される | (台)日本による台湾出兵、清朝と和議を結び同年12月撤退 | |
1874年05月 | 地方長官会議開催の詔 蕃地事務都督西郷従道ら、台湾に上陸 | ||
1874年08月 | 台湾問題交渉のため、全権弁理大臣大久保利通を清国に派遣 | ||
1874年夏 | (露)ナロードニキ運動が盛んになる | ||
1874年10月 | 屯田憲兵設置条例(屯田兵の配備) | ||
1874年12月 | (西)王政復古クーデター、ボルボン(ブルボン)家のアルフォンソ12世が王政を再開 | ||
1875年 | 立憲政体樹立の詔勅 樺太千島交換条約調印 江華島事件 | (中)同治帝死去、光緒帝即位 (千島)樺太千島交換条約調印、北千島諸島が日本領となる (朝)日本軍艦・雲揚号が江華島付近で武力示威行動を行い、永宗島に上陸して住民を殺害(雲揚号事件) | (仏)第3共和制憲法制定 |
1876年 | 日朝修好条規 | (朝)日朝修好条規調印 | (欧)第1インターナショナル解散 |
1877年 | 西南戦争 | (朝)日本代理公使・花房義質赴任 | (英・印)インド帝国成立。ヴィクトリア女王がインド皇帝となる (米)グラント大統領が退任 (露)露土戦争 |
1878年 | 海外旅券規則を制定 内務卿大久保利通、不平士族に暗殺される(紀尾井坂の変) | (朝)11月に日本代理公使・花房義質が軍艦を率いて釜山に来航し税関撤廃を要求。朝鮮政府が日本の威嚇に屈して翌12月に収税を中止 | (伊)国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世と教皇ピウス9世が相次いで死去 |
1879年 | 琉球処分、沖縄県を設置 グラント(米前大統領)が訪日し、明治天皇と会見 | (朝)清朝北洋大臣・李鴻章が朝鮮に西欧列強との通商を勧告、元山開港を約する七ヵ条協定調印 | |
1880年 | 国会期成同盟が発足 | ||
1881年 | 明治一四年の政変 | (朝)朴定陽・魚允中・洪英植ら10余名の紳士遊覧団を日本に派遣 (朝)領選使・金允植が新式機械学習のため留学生を率いて清に赴く (中)清朝とロシアの間でイリ条約調印 | (露)アレクサンドル2世暗殺される |
1882年 | 壬午軍乱への対応のため、陸軍部隊を朝鮮に派遣 済物浦条約締結 | (越)フランス軍が再度ハノイ城を占拠 (朝)朝米修好通信条約調印 (朝)朝英修好条約調印、朝独修好条約調印 (朝)武衛営の軍兵が暴動を起こし日本公使館を襲撃、日本人教官を殺害(壬午軍乱) (朝)壬午軍乱の損害賠償を含む済物浦条約締結 | |
1883年 | 岩倉具視死去 | (朝)仁川港開港 (越)5月に清朝・黒旗軍の劉永福軍がフランス軍を撃破。その一方で、8月にフランス・ベトナム条約(アルマン条約)が調印され、グエン朝がフランスによるアンナン・トンキンの保護領化を承認 |