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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 太政官の最高意思決定機関。明治4年(1871)7月に設置。天皇親臨のもと、太政大臣・納言(のち左右大臣)が輔弼し、さらに参議が参与して庶政を奨督した。また、管下の部局として、正院内部における文書の起草・勘査・管理を掌る内史官、各省使・府県との文書接受を担当する外史官が置かれた。各省を管轄する機関であったが、設置当所は大蔵省などの発言力が強く、明治6年(1873)の予算紛議を通じてリーダシップの欠如が露見した。そのため、同年には参議増員・太政官潤飾など権限拡張が模索され、各省ヘの統制力を強化した。明治10年(1877)1月の官制改革により、廃局。 |
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参考資料 | 国史大辞典編集委員会編『国史大辞典』第8巻、吉川弘文館、1987年、192頁(執筆:鳥海靖)。宮地正人ほか編『明治時代史大辞典』第2巻、吉川弘文館、2012年、401頁(執筆:川越美穂)。 |
歴代長官 部局長等 |
太政大臣:三條實美(明治4年7月29日-明治18年12月22日) 左大臣:島津久光(1874年4月27日-1875年10月27日)/熾仁親王(1880年2月28日-1885年12月22日) 右大臣:岩倉具視(明治4年10月8日-1883年7月20日) 参議:木戸孝允(明治4年6月25日-1874年5月13日)/西郷隆盛(明治4年6月25日-1873年10月24日)/大隈重信(明治4年7月14日-1881年10月12日)/板垣退助(明治4年7月14日-1873年10月25日)/後藤象二郎(1873年4月19日-1873年10月25日)/大木喬任(1873年4月19日-1885年12月22日)/江藤新平(1873年4月19日-1873年10月25日)/大久保利通(1873年10月12日-1878年5月14日)/副島種臣(1873年10月13日-1873年10月25日)/伊藤博文(1873年10月25日-1885年12月22日)/勝安房(1873年10月25日-1875年4月25日)/寺島宗則(1873年10月28日-1881年10月21日)/伊地知正治(1874年8月2日-1875年6月10日)/山県有朋(1874年8月2日-1885年12月22日)/黒田清隆(1874年8月2日-1882年1月11日)/木戸孝允(1875年3月8日-1876年3月28日)/板垣退助(1875年3月12日-1875年10月27日)/西郷従道(1878年5月24日-1885年12月22日)/川村純義(1878年5月24日-1885年12月22日)/井上馨(1878年7月29日-1885年12月22日)/山田顕義(1879年9月10日-1885年12月22日)/松方正義(1881年10月21日-1885年12月22日)/大山巌(1881年10月21日-1885年12月22日)/福岡孝弟(1881年10月21日-1885年12月22日)/佐佐木高行(1881年10月21日-1885年12月22日) |