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地域 | 南洋群島 |
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都市名 | ジャボール島 |
解説 | 南洋庁ヤルート支庁は東経164度以東のマーシャル群島一円を管轄するために設けられた地方行政組織。支庁はヤルート諸島ヤルート(現在名ジャルート環礁ジャボール島)に置かれた。当初、支庁内には庶務係と警務係が置かれたが、1937年8月21日に庶務係、財務係、警務係となった。1943年11月5日にそれまでのトラック支庁、ポナペ支庁、ヤルート支庁が統合され、南洋庁東部支庁となり、ヤルート支庁は東部支庁ヤルート出張所に改編された。管区内には32の島が点在し、面積は170平方キロメートルであった。支庁出張所内には総務課、警務課が置かれた。1944年1月までに婦女子などが内地に引き揚げ、終戦時には出張所長をはじめ約100名の邦人が在留していた。1945年9月5日に降伏調印がおこなわれ、23日に傷病者が氷川丸で帰還、10月23日には「鹿島」、27日には「鳳翔」に乗船して、軍民とも内地に引き揚げた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 南洋庁の官制については、A03021377500を参照。ヤルート支庁管内の調査についてはD15020032600を参照。支庁の統合については、A03022875300を参照。「南洋庁支庁ノ名称位置及管轄区域」南洋庁令第4号、1922年4月1日(『南洋庁公報』第1号、1922年4月)。「南洋庁支庁事務分掌規程」南洋庁訓令第50号、1924年12月25日(『南洋庁公報』号外、1924年12月25日)。「南洋庁支庁及支庁出張所事務分掌規程」南洋庁訓令第43号、1937年8月21日(『南洋庁公報』号外、1937年8月21日)。「南洋庁支庁ノ名称位置及管轄区域改正」南洋庁令第52号、1943年11月5日(『南洋庁公報』号外、1943年11月5日)。「南洋庁支庁出張所ノ名称位置及管轄区域改正」南洋庁令第53号、1943年11月5日(『南洋庁公報』号外、1943年11月5日)。「南洋庁支庁出張所事務分掌規程改正」南洋庁訓令第64号、1943年11月5日(『南洋庁公報』号外、1943年11月5日)。南洋庁編『南洋群島要覧 昭和十八年版』(南洋庁、1943年)。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈2〉ペリリュー・アンガウル・硫黄島』(朝雲新聞社、1968年、43-65・441-452頁)。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦〈2〉昭和十七年六月以降』(朝雲新聞社、1973年、付表第6)。防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦〈1〉マリアナ玉砕まで』(朝雲新聞社、1967年、607-618・636-643頁)。 |
歴代長官 部局長等 |
堀口一雄(1922年7月1日現在)/福島平(1924年7月1日現在)/高坂喜一(1925年7月1日現在)/立山茂(1929年8月1日現在)/谷信吉(1932年7月1日現在)/永井卯吉(1935年7月1日現在)/村上誠一(1936年7月1日現在)/山口勇三郎(1937年7月1日現在)/成元幹太(1940年8月15日現在)/金井新吉(1941年8月15日現在)/上野耕夫(1942年7月1日現在)/中島善孝(1943年7月1日現在) |