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地域 | 朝鮮 |
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都市名 | 京城 |
解説 | 朝鮮半島での文化財調査の成果を展示し、「内鮮一体」を示すために設立された博物館。1915年9月から京城の景福宮で開催された朝鮮各道の物産を展示する「始政五年記念朝鮮物産共進会」終了後、その建物の一部を引き継いで同年12月に開館した。博物館は総督官房総務局総務課の所管と定められていたが、1916年4月には内務部第一課の古蹟調査事業と内務部学務局編輯課の史料調査事業を統合して総督官房総務局総務課に移され、総督府博物館が文化財行政を統括することになった。1921年10月、学務局に古蹟調査課が設置されると博物館係が置かれて博物館業務を所管した。1924年12月、緊縮財政のため宗教課に統合された。ついで1932年2月には社会課に、1936年10月には社会教育課に所管替えとなり、1943年12月になり学務課の所管となった。博物館には設置当初から館長や学芸員組織は置かれず、課長のもとに鑑査官・属・技手・嘱託などが置かれて、その任にあった。また分館が慶州・扶余・公州に置かれた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 朝鮮総督府博物館の概況については、B05016082500を参照のこと。「朝鮮総督府事務分掌規程改正」、朝鮮総督府訓令第26号、1915年5月1日(『朝鮮総督府官報』号外、1915年5月1日)。「朝鮮総督府事務分掌規程改正」、朝鮮総督府訓令第53号、1921年10月1日(『朝鮮総督府官報』号外、1921年10月1日)。「朝鮮総督府事務分掌規程改正」、朝鮮総督府訓令第34号、1924年12月25日(『朝鮮総督府官報』号外、1924年12月25日)。「朝鮮総督府事務分掌規程改正」、朝鮮総督府訓令第13号、1932年2月13日(『朝鮮総督府官報』第1528号、1932年2月13日)。「朝鮮総督府事務分掌規程改正」、朝鮮総督府訓令第31号、1936年10月16日(『朝鮮総督府官報』号外、1936年10月16日)。「朝鮮総督府事務分掌規程改正」、朝鮮総督府訓令第88号、1943年12月1日(『朝鮮総督府官報』号外、1943年12月1日)。「朝鮮総督府博物館ヲ京城旧景福宮内ニ設置シ大正4年12月1日ヨリ一般ノ観覧ヲ許ス」、朝鮮総督府告示第296号、1915年11月19日(『朝鮮総督府官報』第988号、1915年11月19日)。「朝鮮総督府博物館慶州分館ヲ慶尚北道慶州郡慶州面東部里ニ設置シ大正15年6月20日ヨリ開館一般ノ観覧ヲ許ス」、朝鮮総督府告示第193号、1917年6月16日(『朝鮮総督府官報』第4146号、1917年6月16日)。大出尚子「日本の旧植民地における歴史・考古学系博物館の持つ政治性―朝鮮総督府博物館及び「満洲国」国立(中央)博物館を事例として―」(『東洋文化研究』第14号、2012年)、金泰蓮「朝鮮総督府博物館の設立と運営について―1910~1921年を中心に―」(『佛教大学大学院紀要』文学研究科篇、 第43号、2015年)。 |