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地域 | 朝鮮 |
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解説 | 感化院は、いわゆる不良行為に関係する少年を収容した施設である。もともと朝鮮における少年司法は1912年3月に制定された朝鮮監獄令によった。同令は1908年3月に制定された日本の監獄法に基づいて18歳未満の者を他の収監者と区別して扱った。その後、少年の保護教育は分担され、少年刑務所、矯正院などが設置されたが、感化院もそのひとつである。感化院は朝鮮感化令の制定によって1923年8月に設置されたが、同令によると、感化院の入院者は8歳以上18歳未満の少年で親権者がいない者で、不良行為をおこなった少年だけでなく、おこなう恐れがある少年も含まれた。また親権者や後見人が少年の入院を願い出ることもできた。感化院は院長、教諭、書記で構成され、監督権限は朝鮮総督にあったため、院長は仮退院や検束を総督の権限の下でおこなうことができた。1942年3月に朝鮮感化令が改定され、感化院は入院者の年齢を14歳未満に引き下げ、また在院者の年齢制限も23歳から20歳に引き下げた。 |
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参考資料 | 感化院官制についてはA01200509900、A03021467600を参照。「朝鮮監獄令」制令第14号、1912年3月18日(『官報』第8628号、1912年3月27日)「朝鮮監獄令施行規則」朝鮮総督府令第34号、1912年3月20日(『官報』第8642号、1912年4月13日)「朝鮮総督府感化院官制」勅令第382号、1923年8月28日(『朝鮮総督府官報』第3319号、1923年9月3日)「朝鮮感化令」制令第12号、1923年9月3日(『朝鮮総督府官報』第3319号、1923年9月3日)「朝鮮感化令中改正」制令第8号、1942年3月23日(『官報』第4573号、1942年4月10日)崔鍾植「韓国における少年司法の歴史」(『法政研究』71(3)、2005年、九州大学) |