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地域 | 朝鮮 |
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都市名 | 新義州 |
解説 | 日本が朝鮮でおこなった事業のひとつに林野調査があるが、日本は早くも1902年に朝鮮の森林資源に着目し、森林概況、林政、木材の需給などを調査し、鴨緑江流域の開発について調べていた。1907年3月には統監府に営林廠が置かれ、「鴨緑江及豆満江沿岸ニ於ケル森林経営ニ関スル事務ヲ掌ル」とされた。1908年の森林令制定後、届出をつうじた林野の所有権区分(民有・国有)がはじまり、1910年以降、本府の殖産局山林課と営林廠の2局体制で国有林を管轄した。営林廠は本廠を新義州に置き、特に朝鮮最大の森林地帯である鴨緑江、豆満江流域の国有林伐採事業を手掛けたが、管掌業務は伐木、造材、運材、製材、販売、林産物処分、森林調査などであり、事業管理のため支廠2か所、出張所4か所、派出所16か所を設置した。その後、1926年6月に樹立した朝鮮林政計画に基づき、軍事・学術・経営上重要な国有林(要存国有林)の管理体制強化が図られ、林政全般の中央機関として山林部が新設、営林廠は営林署に改組され、本府と営林廠で区分されていた要存国有林の経営が営林署へ統合された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 営林廠の官制と管掌内容についてはA03020868099、A03021607900、B04011183400、B04011183900を参照。李宇衍「朝鮮総督府の林野所有権整理と林政」『東洋文化研究』(学習院大学東洋文化研究所、第11号、2009年3月)崔麟和「韓国における国有林の経営計画と施業の展開過程に関する研究」『北海道大学農学部演習林研究報告』第48巻第1号、1991年3月 |