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地域 | 台湾 |
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解説 | 海軍幕僚は、台湾総督の所轄内における海軍に関することを所掌した。1897年11月1日、勅令第364号「台湾総督府海軍幕僚条例」に基づき、台湾総督府海軍幕僚内に組織された。参謀長は、台湾総督の統括に属する海軍軍政及び軍令に関し、総督を補佐し、また幕僚の事務を監理した。参謀長の下には、出師の準備、作戦の計画、沿岸の防御・警備、演習、検閲及び諜報等に関することを掌理した参謀、人事及び庶務を掌理した副官、機関及び兵器に関することを掌理した機関長、医務衛星に関することを掌理した軍医長、会計給与に関することを掌理して副官の事務を補助した主計長、下士、書記が置かれ、海軍幕僚は計20名から構成された。別途、海軍造船技師、主理、通訳官が配置された。条例改正で1901年7月10日より海軍幕僚の人員は減じられ、海岸警備は新たに設置された要港部の所掌となった。1919年8月19日、海軍幕僚条例廃止とともに参謀長の任も消滅した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「台湾総督府海軍幕僚条例」についてはA01200858500(1897年8月)、「台湾総督府海軍幕僚条例中改正」についてはA15113381800(1901年6月)、「台湾総督府海軍幕僚条例廃止」についてはA03021213500(1919年8月)を参照。 |
歴代長官 部局長等 |
角田秀松(1897年11月1日~1897年12月27日)/黒岡帯刀(1897年12月27日~1901年7月4日)/成川揆(1901年7月4日~1903年7月7日)/山縣文蔵(1903年7月7日~1905年3月15日)/山本正勝(1905年3月15日~1905年6月14日)/宮地貞辰(1905年6月14日~1906年8月30日)/羽喰政次郎(1906年8月30日~1907年11月15日)/土山哲三(1907年11月15日~1909年12月1日)/西山実親(1909年12月1日~1910年9月28日)/東郷吉太郎(1910年9月28日~1912年6月18日)/秀島成忠(1912年6月18日~1914年5月29日)/田所広海(1914年5月29日~1914年12月1日)/秋澤芳馬(1914年12月1日~1916年12月1日)/増田幸一(1916年12月1日~1918年5月3日)/増田高頼(1918年5月3日~1919年8月20日) |