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地域 |
南太平洋諸島
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都市名 |
ラバウル
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解説 |
第8方面軍司令官は、ソロモン諸島の作戦を指揮する第17軍と、東部ニューギニアの作戦を指揮する第18軍を統括して指揮(大陸命第714号)。1942年11月16日に、第18軍と同時に編成され、ラバウルに司令部を置いた。司令官は編成時から終戦まで陸軍大将今村均がつとめる(1943年に中将から昇進)。南太平洋において連合国軍との最前線に進出した軍であったが、連合国軍の反攻が各所で激化するにともない孤立していった。1943年半ばから現地自活体制を整えはじめ、ジャングルを開墾して農耕や養鶏を行う。また、ラバウルの防備体制を構築するために、同年11月頃から地下隧道を掘削し、1944年3月までに人員から砲に至るまで資源の大部分を地下に移した。これにより空襲の被害を受けることはほとんどなかった。1945年8月15日に「終戦の詔勅」を入手し、同月17日に大本営の停戦の命令を受ける。同年9月7日、英空母グローリアスの飛行甲板にてオーストラリア軍指揮官に対し今村大将が南東方面艦隊司令長官の海軍中将草鹿任一とともに降伏文書に調印する。各部隊は主に1946年4月から6月にかけてラバウルを出港した復員船に乗船し、浦賀、名古屋などに上陸して復員。今村大将をはじめとする戦犯関係者以外の司令部要員は、6月13日にVO52号に乗船して復員した。
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参考資料 |
アジ歴Ref:C12122484300、22~24画像目。『戦史叢書 南太平洋陸軍作戦〈5〉アイタペ・プリアカ・ラバウル』、409~411頁。『昭和20年11月11日‐21年4月3日 ソロモン地区終戦処理概要』(防衛省防衛研究所所蔵)
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