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地域 |
中国
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都市名 |
衡陽
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解説 |
1942年4月に九江で編成、1944年4月武昌県紙坊鎮移駐、衡陽攻略に参戦後、8月衡陽移駐、10月19日の発令により第20軍に編入。衡陽戦により減員した兵力の補充・回復を図るとともに、湘桂公路沿線地区の確保・警備にあたり、現地で終戦を迎える。終戦時の師団長は陸軍中将堤三樹男。1945年9月21日中国陸軍第74軍に投降。司令部本隊は、1946年4月5日衡陽出発、4月12日株洲集結、4月14日株洲出発、4月25日上海到着、6月16日上海出港、6月27日佐世保入港。陸軍薬剤大尉東幸三郎以下97名は、1946年5月24日上海出港(特別輸送艦海第150号乗船)、5月26日鹿児島入港、6月11日復員。陸軍大尉永井藤三郎以下180名(重慶還送俘虜を含む)は、1946年6月14日上海出港(海防艦205号乗船)、6月16日鹿児島入港、6月19日召集解除。滞留隊・護送隊・直轄部隊は別途復員。
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上位の階層 | |
参考資料 |
『戦史叢書 昭和二十年の支那派遣軍 <1> 3月まで』、49頁アジ歴Ref:C12122444400、2~35画像目。
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