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地域 |
朝鮮半島
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都市名 |
済州島
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解説 |
兵団文字符は「砦」。日本は韓国を併合した後、済州島を海軍佐世保鎮守府の管轄に入れ、「満州事変」、「北支事変」を通して済州島の航空基地化を進めていた。済州島が作戦上の要衝とみなされたのは、米軍がこの島を足がかりに朝鮮・九州に上陸すると予想されて以降である。1945年3月12日に第96師団の新設が策定され、下旬に済州島派遣が命じられたが、沖縄戦の情勢から「防衛強化」が急がれ、4月15日に第58軍司令部が編成された。第17方面軍隷下におかれ、司令部(365名)、第96師団(約9千名)、独立混成第108旅団(6千名)、第111師団(1万2千名)、第1特設勤務隊(6千600名)などからなり、6月には新たに第121師団が指揮下に入った。「本土決戦」の準備は進められ、兵力は増加の一途をたどった。済州島は人口約23万であったが、1944年3月に約3千人だった部隊人員が、敗戦時には7万5千人近くにまで増員された。武装解除後には、軍の一部に再度武器が与えられ、米軍の進駐まで「治安維持」にあたっていた。敗戦後は、多くの部隊が10月~11月に佐世保に上陸、復員している。敗戦時の司令官は永津佐比重(ながつ・さひしげ、中将)。軍司令官は永津佐比重中将。
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参考資料 |
1.森田芳夫・長田かな子『朝鮮終戦の記録 資料編第1巻』(巌南堂書店、1979年) 467-490頁
2.塚崎昌之「「本土決戦」体制と朝鮮半島南部・済州島」(『地域のなかの軍隊7 帝国支配の最前線 植民地』、吉川弘文館、2015年)245-246頁、251-252頁、257頁
3.「部隊行動表 昭和20年(防衛省防衛研究所)」[Ref code: C13020875800]
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