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地域 |
朝鮮半島
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都市名 |
京城
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解説 |
兵団文字符は「築」。もともと日本の朝鮮常駐軍であり、1904年に日露開戦に伴って韓国駐箚軍が置かれ、朝鮮駐箚軍(1910年~)、朝鮮軍(1918年~)と名称が変遷、朝鮮内の抗日闘争を制圧する役割を担い、また関東軍とも密接な関係をもって対中国・ソ連の国境地帯の軍事行動にも参加した。1916年以降、二個師団が編成され、京城と羅南に司令部を置いていた。1945年2月に、「本土決戦に備える」として作戦軍に再編成され(司令部は1945年1月22日に京城で編成完結)、「第17方面軍」と「朝鮮軍管区」が新設された(司令官は兼任)。第17方面軍は野戦部隊であり、「朝鮮確保の任」から、作戦準備の重点は済州島を含む朝鮮南部・中部に据えられた。兵力の多くは第1次~3次兵傭による「根こそぎ動員」により、8月9日の日ソ会戦の翌日に関東軍司令官の隷下とされた。敗戦前の兵力は地上2軍9師団、5師管区、2混成旅団と、3要塞および航空1軍1師団を骨幹として約23万人。降伏文書は1945年9月9日に京城で調印。連合国軍側調印者はアメリカ第24軍団長。帰還のため12月8日に釜山港から出発し、10日博多上陸、復員した。敗戦時の司令官は上月良夫(こうづき・よしお、中将)。
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参考資料 |
1.「上奏(写)(防衛省防衛研究所)[Ref code: C13071078700]
2.「朝鮮(南鮮)方面陸上部隊略歴(航空船舶部隊を除く)(防衛省防衛研究所)」[Ref code: C12122490700]
3.森田芳夫『朝鮮引揚史 秘録大東亜戦史朝鮮篇』(富士書苑、1953年)11頁
4.『引揚と援護30年の歩み』(厚生省援護局、1978年)53頁
5.宮本正明「朝鮮軍・解放前後の朝鮮」(『東洋文化研究』第6号、2004年)266頁
6.庵逧由香「朝鮮に常設された第19師団と第20師団」(『地域のなかの軍隊7 帝国支配の最前線 植民地』、吉川弘文館、2015年)187-189頁
7.『日韓交流の歴史』(歴史研究教育会、歴史教科書研究会、明石書店、2007年)260頁
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