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Area |
British Burma
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City name |
Rangoon, Burma
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Commentary |
第13警備隊は、1943年9月1日編成、同月24日陸洋丸でラングーンに到着。第13根拠地隊の隷下で、ビルマ沿岸北部防備警戒、海上交通に関し陸軍部隊援護などに従事。1945年2月18日以降、南方軍命令により陸上戦闘に関し緬甸方面軍司令官の指揮を受けることとなったが、同年4月下旬緬甸方面軍、第13根拠地隊がラングーンを離れた後も現地に留まり陸戦に参加。ラングーンの失陥によりモールメンへ転進することとなり、海陸二方面から行われた。司令以下主力は陸路をとり、振武兵団(第55歩兵団)長長沢貫一大佐の指揮下に入り、5月上旬ミャンミヤ発、ペグー山中へ転進。その後、振武兵団長の指揮下を離れ、敢威兵団長(独立混成第105旅団長)松井秀治少将の指揮下に入るが、終戦まで連絡を取ることができなかった。7月に第12警備隊と合一、第13警備隊司令深見盛雄大佐の指揮(深見部隊約600名)でシッタン平地突破を敢行するも全滅。8月18日シッタン河を渡河、上陸後敵の銃弾で2名戦死し、その後戦場を彷徨し、9月10日日本軍の軍使に会い終戦を知った。陸路を転進した第13警備隊の生還者は堤新一主計少佐以下4名。最後の司令は海軍大佐堀江朝茂。終戦後は、ラングーン収容所、トングー県ミョージ収容所に収容。1946年6月13日、バンコク発の雪風便にて浦賀着。復員。
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Upper level hierarchy | |
Reference materials |
アジ歴Ref:C08030259700、3~4、10画像目、アジ歴Ref:C14060207200、1~2画像目、アジ歴Ref:C08030730400、1~31画像目、『戦史叢書 海軍作戦第二段作戦以降』583-590頁、『在外部隊情報綴』(防衛省防衛研究所)、『昭和63年3月改版 旧海軍恩給年加算調書(8)』、厚生省援護局、215頁
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