Top Page > Viewing Meiji Japan's Engagement with Asia through the Archives > Search by Chronological Table (Chronological timeline : 航路・電信・灯台)
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年月日 | 航路 | 電信 | 燈台 |
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1855年12月3日 (安政2年10月24日) |
長崎にてオランダ海軍伝習が開始(~1859年3月13日) |
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1857年5月4日 (安政4年4月11日) |
軍艦教授所が設置 |
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1859年10月 (安政6年9月) |
P&O汽船会社(イギリス)により上海―長崎間航路開設 |
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1860年2月4日 (安政7年1月13日) |
軍艦奉行並・木村喜毅ら搭乗の咸臨丸が太平洋横断に成功 |
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1864年6月 (元治元年5月) |
勝安房の提言により神戸海軍操練所開設 |
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1864年5月 (元治元年4月) |
P&O汽船会社(イギリス)により上海―横浜間航路開設 |
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1865年10月 (慶応元年9月) |
フランス郵船会社により上海―横浜間航路開設 |
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1866年1月8日 (慶応元年11月22日) |
ヴェルニーが燈台の建設を柴田剛中に進言 |
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1866年6月25日 (慶応2年5月13日) |
改税約書に船舶安全のための燈台・浮標の設置が明記される |
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1867年2月 (慶応3年1月) |
太平洋郵船会社により、サンフランシスコ―横浜―香港間航路開設 |
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1867年3月 (慶応3年2月) |
P&O汽船会社(イギリス)、上海―横浜間航路を廃止 |
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1867年6月 (慶応3年5月) |
太平洋郵船会社により横浜―上海間の航路開設 |
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1868年1月1日 (慶応3年12月7日) |
兵庫(神戸)開港 |
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1869年2月11日 (明治2年1月1日) |
観音崎燈台点灯(三浦半島東端、ルイ・フェリックス・フロラン設計) |
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1869年3月 (明治2年) |
フランス郵船会社により香港―横浜間航路開設 |
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1869年6月 (明治2年5月) |
P&O汽船会社により香港―横浜間航路開設 |
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1869年7月 (明治2年) |
太平洋郵船会社、横浜―函館間航路開設 |
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1869年 (明治2年9月) |
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1869年12月25日 (明治2年11月23日) |
駅逓寮が国内郵便輸送の一部を太平洋郵船会社に委託 |
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1869年12月 (明治2年11月) |
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1870年1月16日 (明治2年12月15日) |
東京(鉄砲洲運上所)―横浜(横浜裁判所)間電信開設 |
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1870年1月20日 (明治2年12月19日) |
野島崎燈台点灯(房総半島最南端、ルイ・フェリックス・フロラン設計) |
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1870年1月 (明治2年12月) |
岩崎弥太郎により土佐藩所有の汽船3艘を以て、九十九商会(のちの三菱商会)設立 |
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1870年 (明治3年1月) |
日本最初の汽船会社・廻漕会社設立 |
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1870年4月20日 (明治3年3月20日) |
品川燈台点灯(東京湾品川沖第二台場、ルイ・フェリックス・フロラン設計) |
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1870年7月8日 (明治3年6月10日) |
樫野崎燈台点灯(和歌山紀伊大島東端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1870年7月8日 (明治3年6月10日) |
潮岬燈台仮点灯(紀伊半島南端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計、本点灯は1873年9月15日) |
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1870年8月6日 (明治3年7月10日) |
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1870年9月7日 (明治3年8月12日) |
城ヶ島燈台点灯(三浦半島城ヶ島西端、ルイ・フェリックス・フロラン設計) |
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1870年9月20日 (明治3年8月25日) |
大北電信会社が日本政府より、長崎―上海間・長崎―ウラジオストク間・長崎―横浜間の海底電線布設の許可を得る |
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1870年 (明治3年8月) |
大阪―神戸間電信開設 |
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1870年12月12日 (明治3年閏10月20日) |
電信事務は工部省所管となる |
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1870年12月15日 (明治3年閏10月23日) |
長崎製鉄所において最初の国産汽船・瓊浦丸製造 |
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1871年1月1日 (明治3年11月11日) |
神子元島燈台点灯(伊豆半島沖、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1871年3月1日 (明治4年1月11日) |
剣崎燈台点灯(東京海湾口剣崎、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1871年 (明治4年1月) |
明治政府が三井会社の手代・吹島四郎兵衛に命じて廻漕会社の汽船および業務のすべてを継承させて廻漕取扱所を設立 |
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1871年 (明治4年3月) |
工部省に伝信機掛設置 |
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1871年6月14日 (明治4年4月27日) |
江崎燈台点灯(淡路島北端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1871年 (明治4年4月) |
大北電信会社により、海底電線・上海ー厦門―香港線開通 |
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1871年8月4日 (明治4年6月18日) |
大北電信会社により、海底電線・長崎ー上海線開通。長崎―上海―香港を経由しヨーロッパ・アメリカと通信開始 |
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1871年7月 (明治4年) |
岩崎弥太郎が土佐藩所有の汽船6艘および曳船・艀・帆船等を譲り受け三菱商会を設立し、本店を大阪に、支店を東京に置く |
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1871年8月 (明治4年) |
明治政府は各藩より引き上げたすべての汽船および廻漕取扱所の汽船を合わせて日本帝国郵便蒸汽船会社を設立し、東京・大阪間定期航路、函館・石巻間不定期航路、沖縄航路を命じる |
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1871年9月14日 (明治4年7月30日) |
伊王島燈台点灯(長崎港口伊王島北端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1871年9月23日 (明治4年8月9日) |
東京―長崎間電信線布設着工 |
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1871年10月5日 (明治4年8月21日) |
石室崎燈台点灯(伊豆半島最南端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1871年11月31日 (明治4年10月18日) |
佐多岬燈台点灯(鹿児島大隅半島南端小岩島、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1872年1月1日 (明治4年11月21日) |
大北電信会社により、海底電線・長崎ーウラジオストク線開通。長崎―ウラジオストク経由アジア・ヨーロッパ・アメリカと通信開始 |
六連島燈台点灯(下関海峡西口六連島、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1872年2月9日 (明治5年1月1日) |
日本―中国間の公衆電報の取扱開始、シベリア・ヨーロッパロシアを経由してヨーロッパと、大西洋を経由してアメリカ・カナダと電報やり取りが可能となる |
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1872年3月1日 (明治5年1月22日) |
部埼燈台点灯(下関海峡東口、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1872年 (明治5年6月) |
友ヶ島燈台点灯(和歌山友ヶ島西端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1872年 (明治5年6月) |
弁天島燈台点灯(根室港口弁天島、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1872年 (明治5年7月) |
納沙布崎燈台点灯(根室納沙布崎東端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1872年10月1日 (明治5年8月29日) |
天保山燈台点灯(安治川口砲台、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1872年10月1日 (明治5年8月29日) |
和田岬燈台点灯(神戸港西南和田岬、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1872年 (明治5年9月) |
横浜―長崎間電信線布設着工 |
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1872年 (明治5年11月) |
鍋島燈台点灯(瀬戸内海鍋島、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1873年2月 (明治6年2月) |
東京―長崎間・横浜―長崎間電信線完成 |
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1873年4月 (明治6年4月) |
安乗崎燈台点灯(志摩的矢港口、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1873年6月 (明治6年6月) |
釣島燈台点灯(愛媛興居島西方、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1873年7月 (明治6年7月) |
菅島燈台点灯(志摩鳥羽港口菅島、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1873年8月13日 (明治6年8月13日) |
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1873年9月 (明治6年9月) |
潮岬燈台点灯(紀伊半島南端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1873年9月 (明治6年9月) |
白洲燈台点灯(下関海峡西口藍ノ島南西の低洲、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1873年 (明治6年) |
招商局(清国)による上海―長崎―神戸間航路開設 |
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1873年 (明治6年) |
太平洋郵船会社による横浜支店設置 |
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1874年2月 (明治7年2月) |
佐賀の乱に際し三菱商会が輸送役務に従事 |
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1874年4月 (明治7年4月) |
台湾出兵に際し三菱商会が輸送役務に従事。台湾出兵終結後、汽船13艘を三菱商会に交付 |
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1874年5月 (明治7年5月) |
御前崎燈台点灯(駿河湾西角、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1874年10月 (明治7年10月) |
東京―青森間電信線架設工事竣工。本州―北海道間の連絡完成 |
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1874年11月 (明治7年11月) |
犬吠崎燈台点灯(房総半島東端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1875年2月3日 (明治8年2月3日) |
三菱商会による横浜―上海航路開設。日本の汽船会社による最初の外国航路 |
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1875年3月 (明治8年3月) |
羽根田燈台点灯(東京湾羽根田洲の外、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1875年6月 (明治8年6月) |
日本帝国郵便蒸汽船会社解散、所有する汽船18艘を三菱商会に交付 |
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1875年8月 (明治8年8月) |
横浜製造所から横浜製鉄所に再度改称され、岩崎弥太郎経営の三菱商会に貸し渡される。 |
烏帽子島燈台点灯(壱岐水道東口烏帽子島) |
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1875年9月 (明治8年9月) |
三菱商会が郵便航送を引き受けるに当たり郵便汽船三菱会社と改称 |
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1875年9月15日 (明治8年9月15日) |
明治政府が第一命令書により郵便汽船三菱会社に郵便運送を命じる |
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1875年10月 (明治8年10月) |
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1875年10月 (明治8年10月) |
太平洋郵船会社、神戸航路撤退 |
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1875年11月8日 (明治8年11月8日) |
郵便汽船三菱会社により琉球航路開設 |
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1875年11月 (明治8年11月) |
三菱商船学校(東京商船学校の前身)設立 |
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1876年3月 (明治9年3月) |
角島燈台点灯(山口長門角島の北西端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1876年3月 (明治9年3月) |
リチャード・ヘンリー・ブラントン解雇 |
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1876年5月13日 (明治9年5月13日) |
郵便汽船三菱会社による神戸―芝罘―天津―牛荘(営口)線開始(月1回の運航)。数ヶ月で廃止。 |
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1876年9月 (明治9年9月) |
第二命令書により、郵便汽船三菱会社に対し、横浜―上海線、東京―横浜―大阪―神戸線、東京―函館線、東京―横浜―新潟線、東京―四日市線、長崎―釜山線の開設を命じる |
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1876年10月 (明治9年10月) |
郵便汽船三菱会社により、長崎―五島―対馬―釜山線開設 |
尻矢崎燈台点灯(津軽海峡東口、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1876年11月 (明治9年11月) |
金華山燈台点灯(宮城金華山南東端、リチャード・ヘンリー・ブラントン設計) |
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1877年2月 (明治10年2月) |
西南戦役に際し郵便汽船三菱会社が輸送役務に従事、新たに汽船10艘を購入 |
新潟燈台点灯(新潟港) |
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1877年9月 (明治10年9月) |
堺燈台点灯(和泉国堺港中波止場) |
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1877年9月 (明治10年9月) |
島原燈台点灯(島原湾島原港口) |
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1877年10月 (明治10年10月) |
伏木燈台(伏木港射水川口) |
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1877年 (明治10年) |
三井物産上海支店開設 |
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1878年3月 (明治11年3月) |
東京電信中央局設置。日本における外国電報取扱が大北電信会社より完全に日本政府に移管される |
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1878年3月 (明治11年3月) |
万国電信公法による国際電報の正式業務開始 |
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1878年5月 (明治11年5月) |
木津川燈台点灯(大阪木津川口) |
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1879年1月 (明治12年1月) |
日本が万国電信条約に加盟 |
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1879年10月 (明治12年10月) |
郵便汽船三菱会社による自営航路・横浜―香港線開始 |
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1879年12月 (明治12年12月) |
大瀬崎燈台点灯(五島列島福江島南西端) |
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1879年 (明治12年) |
民間有志により函館商船学校、大阪商船学校設立 |
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1880年3月 (明治13年3月) |
郵便汽船三菱会社により、神戸―下関―長崎―五島―対馬―釜山―元山線開設 |
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1880年5月1日 (明治13年5月1日) |
元山津開港。釜山線が釜山経由元山線に改編される |
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1880年5月 (明治13年5月) |
口之津燈台点灯(島原湾口口之津港) |
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1880年 (明治13年) |
郵便汽船三菱会社、横浜―香港航路の神戸寄港開始 |
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1880年 (明治13年) |
東京風帆船会社設立が計画されるが開業に至らず、のち共同運輸会社に合併となる |
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1881年1月 (明治14年1月) |
大阪府が私立大阪商船学校を収用して府立大阪商船学校に改編 |
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1881年2月28日 (明治14年2月28日) |
郵便汽船三菱会社により神戸―釜山経由元山線が延伸され、ウラジオストク線に改編される |
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1881年3月 (明治14年3月) |
蔭ノ尾島燈台点灯(長崎港蔭尾島北端) |
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1881年5月 (明治14年5月) |
郵便汽船三菱会社により、仁川航路開設 |
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1881年7月 (明治14年7月) |
立石崎燈台点灯(敦賀湾口) |
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1881年12月 (明治14年12月) |
鷹島燈台点灯(呼子港口鷹島) |
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1881年 (明治14年) |
招商局による台湾―厦門航路、台湾―福州航路開設 |
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1881年 (明治14年) |
P&O汽船会社(イギリス)、横浜―香港航路の長崎寄港開始 |
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1882年 (明治15年) |
P&O汽船会社(イギリス)、横浜―香港間航路の神戸寄港開始 |
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1882年 (明治15年) |
郵便汽船三菱会社、横浜―香港航路を神戸―香港航路に改定 |
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1882年4月 (明治15日4月) |
三菱商船学校を改編して官立とし東京商船学校と改称 |
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1882年7月 (明治15年7月) |
渋沢栄一らを発起人として共同運輸会社設立、東京風帆船会社・北海道運輸会社・越中風帆船会社を合併 |
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1882年10月 (明治15年10月) |
第一回海底電信保護万国連合会議開催(パリ) |
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1883年3月3日 (明治16年3月3日) |
日本朝鮮間海底電線約定調印。日本政府より大北電信会社に対し長崎―釜山間海底電線の布設を許可 |
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1883年4月 (明治16年4月) |
共同運輸会社開業 |
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1883年4月 (明治16年4月) |
北海道庁が私立函館商船学校を収用して公立に改編 |
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1883年6月 (明治16年6月) |
龍頭埼燈台点灯(高知浦戸港口) |
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1883年7月 (明治16年7月) |
禄剛崎燈台点灯(能登半島北端) |
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1883年10月24日 (明治16年10月24日) |
大北電信会社により、長崎―上海間・長崎―ウラジオストク間の海底電線一条増設 |
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1883年10月 (明治16年10月) |
博多燈台点灯(博多港) |
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1883年11月23日 (明治16年11月23日) |
大北電信会社により、呼子―壱岐―対馬―釜山間海底電線開通 |
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1884年2月 (明治17年2月) |
日本政府が釜山に電信局を設け、大北電信会社布設による日本―朝鮮間海底電線を使用して電報取扱開始 |
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1884年3月 (明治17年3月) |
日本が海底電線保護万国連合条約に加入 |
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1884年5月1日 (明治17年5月1日) |
大阪商船会社開業 |
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1884年8月 (明治17年8月) |
鞍崎燈台点灯(宮崎南郷大島南端) |
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1884年12月15日 (明治17年12月15日) |
甲ノ浦燈台点灯(安芸郡甲浦港) |
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1885年7月 (明治18年7月) |
贄埼燈台点灯(津市岩田川口) |
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1885年9月 (明治18年9月) |
宗谷岬燈台点灯(宗谷岬北端) |
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1885年9月 (明治18年9月) |
大阪商船会社により大阪―沖縄航路開設 |
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1885年10月1日 (明治18年10月1日) |
日本郵船会社開業 |
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1885年10月20日 (明治18年10月20日) |
日本郵船会社により横浜―小笠原航路開設 |
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1885年10月 (明治18年) |
フランス郵船会社、横浜―香港間航路の神戸寄港開始 |
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1885年12月22日 (明治18年12月22日) |
管船局を農商務省から新設の逓信省へ移管 |
電信局を工部省から新設の逓信省に移管 |
燈台局を工部省から新設の逓信省に移管 |
1885年12月 (明治18年12月) |
葛登支岬燈台点灯(函館港口西側) |
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1886年2月 (明治19年2月) |
日本郵船会社による長崎―仁川―芝罘―天津航路開設 |
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1886年6月 (明治19年6月) |
三津浜燈台点灯(愛媛三津浜港) |
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1886年8月 (明治19年8月) |
四日市燈台点灯(伊勢四日市港) |
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1887年4月 (明治20年4月) |
浅野総一郎により浅野廻漕部(のちの東洋汽船会社)設立 |
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1888年4月 (明治21年4月) |
函館商船学校および大阪商船学校を官立に改編し逓信省直轄とする |
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1888年8月 (明治21年8月) |
神威岬燈台点灯(北海道積丹) |
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1888年9月 (明治21年9月) |
横浜築港着工 |
白神岬燈台点灯(津軽海峡西口白神岬) |
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1888年10月10日 (明治21年10月10日) |
航路標識条例制定 |
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1889年3月 (明治22年3月) |
日本郵船会社による上海―芝罘―仁川―釜山―元山―ウラジオストク航路、神戸―下関―長崎―釜山―天津航路、神戸―下関―長崎―五島列島―対馬―ウラジオストク航路、神戸―長崎―仁川―天津航路開設 |
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1889年6月 (明治22年6月) |
襟裳岬燈台点灯(北海道南端) |
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1889年9月 (明治22年9月) |
日本郵船会社による小樽―下関―神戸航路開設 |
福山燈台点灯(福山港弁天島) |
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1889年9月 (明治22年9月) |
鴎島燈台点灯(北海道江差港鴎島) |
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1890年3月 (明治23年3月) |
三角燈台点灯(熊本天草三角港口) |
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1890年7月16日 (明治23年7月) |
大阪商船会社による大阪―釜山航路開設 |
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1890年10月 (明治23年10月) |
落石埼燈台点灯(根室落石埼) |
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1890年11月 (明治23年11月) |
花咲燈台点灯(根室花咲港) |
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1890年11月 (明治23年11月) |
厚岸燈台点灯(厚岸湾口大黒島) |
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1890年11月 (明治23年11月) |
恵山岬燈台点灯(津軽海峡東口恵山岬) |
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1890年12月 (明治23年12月) |
弁慶岬燈台点灯(北海道寿都港西角) |
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1890年12月 (明治23年12月) |
日本郵船会社による神戸―下関―長崎―福州―厦門―マニラ間定期航路開設 |
増毛燈台点灯(北海道増毛港) |
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1891年2月13日 (明治24年2月13日) |
大阪商船会社による大阪―奄美大島航路開設 |
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1891年3月 (明治24年3月) |
日本郵船会社による神戸―牛荘(営口)航路開設 |
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1891年3月18日 (明治24年3月18日) |
日本政府が大北電信会社より呼子―対馬間の海底電線買収 |
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1891年5月 (明治24年5月) |
逓信省が函館商船学校と大阪商船学校を東京商船学校の分校に改編 |
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1891年9月 (明治24年9月) |
釧路埼燈台点灯(釧路泊地知人鼻) |
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1891年11月 (明治24年11月) |
幌泉燈台点灯(北海道襟裳幌泉) |
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1891年11月 (明治24年11月) |
浦河燈台点灯(北海道浦河) |
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1891年11月 (明治24年11月) |
室蘭燈台点灯(室蘭港口大黒島) |
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1891年12月 (明治24年12月) |
稲穂岬燈台点灯(奥尻島北端) |
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1892年1月 (明治25年1月) |
石狩燈台点灯(石狩河口西岸) |
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1892年5月 (明治25年5月) |
計羅武威埼燈台点灯(千島列島国後島南端) |
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1892年12月 (明治25年12月) |
鴛泊燈台点灯(利尻島鴛泊湾北西端) |
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1893年3月18日 (明治26年3月18日) |
大阪商船会社による大阪―仁川航路開設 |
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1893年4月 (明治26年4月) |
壇ノ浦燈台点灯(下関海峡東口北側) |
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1893年5月 (明治26年5月) |
大阪商船会社による神戸―門司―基隆航路開設 |
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1893年11月7日 (明治26年11月7日) |
日本郵船会社がインド・タタ商会と共同で、横浜―シンガポール―ボンベイ航路開設。日本の汽船会社最初の遠洋航路 |
汐首岬燈台点灯(津軽海峡北側汐首岬) |
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1894年5月 (明治27年5月) |
百貫島燈台点灯(布刈瀬戸東口百貫島) |
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1894年5月 (明治27年5月) |
小佐木島燈台点灯(三原瀬戸小佐木島北西端) |
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1894年5月 (明治27年5月) |
大久野島燈台点灯(三原瀬戸大久野島南端) |
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1894年5月 (明治27年5月) |
鮴埼燈台点灯(三原瀬戸大崎上島北東端) |
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1894年5月 (明治27年5月) |
中野鼻燈台点灯(三原瀬戸大崎上島南東端) |
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1894年5月 (明治27年5月) |
大下島燈台点灯(大下瀬戸大下島西端) |
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1894年8月 (明治27年8月) |
日清戦争に際し日本郵船会社は全所有船を挙げて就役 |
大立島燈台点灯(長崎大立島) |
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1894年8月 (明治27年8月) |
白瀬燈台点灯(佐世保港外白瀬岩上) |
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1894年8月 (明治27年8月) |
三島燈台点灯(対馬北端) |
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1894年9月 (明治27年9月) |
神崎燈台点灯(対馬南端) |
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1894年9月 (明治27年9月) |
第二海堡燈台点灯(東京湾第二海堡) |
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1894年9月 (明治27年9月) |
古志岐島燈台点灯(五島列島宇久島北東方) |
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1894年10月 (明治27年10月) |
船川燈台点灯(秋田船川湾根ノ埼) |
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1895年1月 (明治28年1月) |
日ノ御埼燈台点灯(紀伊水道東側日ノ御埼) |
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1895年6月24日 (明治28年6月24日) |
陸軍省に臨時台湾電信建設部を設置 |
陸軍省に臨時台湾燈標建設部を設置 |
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1895年6月 (明治28年6月) |
日本政府がイギリスに海底電線布設船・沖縄丸建造を発注 |
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1895年7月 (明治28年7月) |
日本政府がイギリスに海底ケーブル1678海里分を発注 |
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1895年10月 (明治28年10月) |
酒田燈台点灯(山形最上川口) |
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1895年11月 (明治28年11月) |
境港燈台点灯(鳥取境港口) |
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1895年12月 (明治28年12月) |
男木島燈台点灯(香川男木島) |
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1895年12月 (明治28年12月) |
姫崎燈台点灯(佐渡島夷湾口) |
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1895年 (明治28年) |
日本郵船会社が上海―ウラジオストク間航路を香港まで延長 |
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1895年 (明治28年) |
大阪商船会社により大阪―山陰―北陸―北海道航路開設 |
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1896年2月29日 (明治29年2月29日) |
横浜―シンガポール―ボンベイ航路につき、インド・タタ商会が離脱し日本郵船会社単独運航となる |
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1896年2月 (明治29年2月) |
第三海堡燈台点灯(東京湾第三海堡) |
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1896年3月15日 (明治29年3月15日) |
日本郵船会社によるヨーロッパ航路(シンガポール寄港)開設 |
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1896年3月23日 (明治29年3月23日) |
航海奨励法公布(1896年10月1日施行) |
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1896年3月30日 (明治29年3月30日) |
台湾総督府燈台所官制公布(1896年4月1日施行)。清国が建設した燈台2基(漁翁島燈台・鵞鑾鼻燈台)および導燈1基(淡水)、燈竿1基(安平)が台湾総督府燈台所の管轄となる |
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1896年3月 (明治29年3月) |
日本郵船会社により陸軍御用船航路であった神戸―門司―基隆間を貨客航路として航行開始 |
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1896年3月 (明治29年3月) |
日本郵船会社によるヨーロッパ航路開設 |
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1896年4月 (明治29年4月) |
浅野廻漕部が東洋汽船会社設立のため解散 |
横浜東水堤燈台点灯(横浜港東水堤突端) |
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1896年4月 (明治29年4月) |
台湾総督府内地台湾航路命令により、大阪商船会社が神戸―鹿児島―奄美大島―沖縄―基隆間、神戸―下関―長崎―鹿児島―沖縄―基隆間航路を受命(1896年5月1日開始) |
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1896年4月10日 (明治29年4月10日) |
海底電線布設船・沖縄丸竣工(グラスゴー・ロブニッツ社製) |
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1896年5月 (明治29年5月) |
白岩龍平により大東新利洋行設立、上海―蘇州間の航路開設 |
横浜北水堤燈台点灯(横浜港北水堤突端) |
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1896年7月8日 (明治29年7月8日) |
渋沢栄一・浅野総一郎の発起により東洋汽船会社設立(1898年開業) |
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1896年8月1日 (明治29年8月) |
日本郵船会社による香港―横浜―ハワイ―シアトル航路開設 |
鹿児島大浜―奄美大島―沖縄島間の海底電線布設 |
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1896年10月3日 (明治29年10月3日) |
日本郵船会社によるオーストラリア航路(横浜―アデレード間・横浜―メルボルン間)開設 |
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1896年10月 (明治29年10月) |
日本政府の命令に基づき、新潟―ウラジオストク間、函館―コルサコフ間航路を特定助成航路として大家七平(大家商船合資会社)が受命(1904年3月廃止) |
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1896年11月 (明治29年11月) |
曽津高崎燈台点灯(奄美大島西端) |
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1896年11月 (明治29年11月) |
津堅島燈台点灯(琉球中城湾口) |
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1896年11月 (明治29年11月) |
先原崎燈台点灯(那覇港口) |
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1896年11月 (明治29年11月) |
釣掛埼燈台点灯(鹿児島下甑島南端) |
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1897年1月 (明治30年1月) |
大東新利洋行による上海―杭州間航路開設 |
屋久島燈台点灯(屋久島北西端) |
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1897年2月 (明治30年2月) |
鼻頭角燈台点灯(台湾北岸鼻頭角) |
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1897年3月 (明治30年3月) |
伊江島燈台点灯(琉球伊江島西端) |
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1897年3月 (明治30年3月) |
掛塚燈台点灯(天竜川口東岸) |
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1897年4月1日 (明治30年4月1日) |
大阪商船会社による神戸―沖縄―基隆間航路・基隆―高雄間航路開設 |
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1897年4月 (明治30年4月) |
富基角燈台点灯(台湾北端富基角) |
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1897年4月 (明治30年4月) |
長崎鼻燈台点灯(鹿児島長島海峡長島南西端)/戸島燈台点灯(鹿児島長島海峡戸島東端)/上馬刀島燈台点灯(天草下島の南島上馬刀島) |
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1897年5月30日 (明治30年5月30日) |
沖縄島―石垣島―台湾淡水間の海底電線布設 |
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1897年7月 (明治30年7月) |
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1897年7月 (明治30年7月) |
台湾総督府が伊万里汽船会社に命じていた基隆―安平間航路を廃止し、大阪商船会社に東沿岸航路および西沿岸航路の開設を命令 |
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1897年8月1日 (明治30年8月1日) |
大阪商船会社による基隆―淡水間航路開設 |
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1897年8月 (明治30年8月) |
金石燈台点灯(福井上金石町字日和山) |
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1897年10月28日 (明治30年10月28日) |
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1897年10月 (明治30年10月) |
大阪港築港着工(1907年3月竣工) |
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1897年10月 (明治30年10月) |
日本政府により上海―漢口間、漢口―宜昌間航路の開設を命令し、大阪商船会社が受命 |
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1898年1月1日 (明治31年1月1日) |
大阪商船会社による上海―漢口間航路開設 |
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1898年3月 (明治31年3月) |
大阪商船会社による神戸―沖縄―高雄(打狗)間航路開設 |
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1898年5月 (明治31年5月) |
馬島燈台点灯(島根浜田港口馬島) |
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1898年5月 (明治31年5月) |
戸馳島燈台点灯(熊本戸馳島南端) |
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1898年9月 (明治31年9月) |
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1898年11月 (明治31年11月) |
地蔵埼燈台点灯(島根美保湾北西角) |
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1898年11月 (明治31年11月) |
入道埼燈台点灯(男鹿半島北端) |
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1898年12月 (明治31年12月) |
東洋汽船会社による香港―横浜―サンフランシスコ間航路開始 |
淡水―福建省川石山間の海底電線を清国から買収 |
経ヶ岬燈台点灯(京都最北端経ヶ埼) |
1899年1月 (明治32年1月) |
飾磨燈台点灯(姫路飾磨港西波止場) |
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1899年4月1日 (明治32年4月1日) |
大阪商船会社による淡水―香港間航路開始 |
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1899年4月5日 (明治32年4月5日) |
大阪商船会社による大阪―鎮南浦航路開設 |
平館燈台点灯(陸奥海湾口明神埼) |
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1899年4月 (明治32年4月) |
室戸崎燈台点灯(高知室戸埼) |
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1899年5月2日 (明治32年5月2日) |
大阪商船会社による漢口―宜昌間航路開始 |
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1899年7月 (明治32年7月) |
日本政府の命令により日本郵船会社が横浜―アントワープ間航路開設 |
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1899年8月 (明治32年8月) |
国後島―択捉島間の海底電線布設 |
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1899年9月11日 (明治32年9月11日) |
大阪商船会社による神戸―天津―牛荘(営口)間航路開始 |
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1899年9月25日 (明治32年9月25日) |
大阪商船会社による神戸―芝罘―牛荘(営口)間航路開始 |
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1899年9月 (明治32年9月) |
稚内―利尻島―礼文島間の海底電線布設 |
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1899年11月 (明治32年11月) |
安渡移矢岬燈台点灯(千島列島国後島北東端) |
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1899年11月 (明治32年11月) |
梶取埼燈台点灯(和歌山梶取埼) |
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1899年12月 (明治32年12月) |
塩屋埼燈台点灯(磐城塩屋埼) |
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1900年4月 (明治33年4月) |
基隆燈台点灯(基隆港口) |
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1900年4月 (明治33年4月) |
台湾総督府により基隆―香港間、高雄―広東間の航路開設が命令され、大阪商船会社が受命 |
三重城燈台点灯(那覇港) |
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1900年6月 (明治33年6月) |
港湾調査会設置 |
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1900年9月 (明治33年9月) |
根室―国後島間の海底電線布設 |
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1900年10月1日 (明治33年10月1日) |
大阪商船会社による神戸―長崎―釜山―鎮南浦間航路開設 |
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1900年10月 (明治33年10月) |
大阪商船会社による香港―福州間航路開設 |
北海道苫前―焼尻島―天売島間に海底電線布設 |
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1900年10月 (明治33年10月) |
北海道平田内―奥尻島間に海底電線布設 |
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1900年10月 (明治33年10月) |
青森県一本木―北海道木古内間に海底電線布設 |
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1900年12月 (明治33年12月) |
稚内燈台点灯(北海道北見野寒岬) |
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1901年1月 (明治34年1月) |
白沙岬燈台点灯(台湾北西岸白沙岬) |
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1901年4月19日 (明治34年4月19日) |
大阪商船会社により、大阪―馬山―群山―仁川航路開設 |
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1901年4月 (明治34年4月) |
大東汽船株式会社による蘇州―杭州間航路開設 |
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1901年4月 (明治34年4月) |
逓信省が東京商船学校の函館分校・大阪分校を廃止し、地方の所管に戻す |
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1901年7月 (明治34年7月) |
関埼燈台点灯(豊後水道北口の西側地蔵埼) |
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1901年11月27日 (明治34年11月27日) |
韓国における燈台建設のため、内閣が石橋絢彦(逓信技師・工学博士)を派遣 |
||
1901年 (明治34年) |
神戸港築港着工(1902年竣工) |
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1902年3月 (明治35年3月) |
魹埼燈台点灯(岩手宮古魹埼) |
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1902年4月 (明治35年4月) |
大浜燈台点灯(来島海峡南口) |
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1902年5月 (明治35年5月) |
加藤正義らの発起により湖南汽船会社設立、漢口―湘潭間航路開設 |
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1902年6月 (明治35年6月) |
北島燈台点灯(台湾澎湖列島目斗嶼上) |
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1902年9月20日 (明治35年9月20日) |
大阪商船会社により、大阪―元山航路開設 |
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1902年12月 (明治35年12月) |
アメリカによりサンフランシスコ―ホノルル間太平洋横断海底電線布設 |
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1902年 (明治35年) |
大阪商船会社による横浜―神戸―宇品―門司―長崎―基隆―澎湖島―安平―打狗(高雄)航路開設 |
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1902年 (明治35年) |
JCJL社(オランダ)によるジャワ―日本航路開設 |
||
1902年 (明治35年) |
大東汽船株式会社による蘇州―鎮江間航路開設 |
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1903年3月1日 (明治36年3月1日) |
港湾調査会廃止 |
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1903年4月 (明治36年4月) |
クダコ島燈台点灯(伊予灘怒和島の東方クダコ島) |
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1903年4月 (明治36年4月) |
日御碕燈台点灯(島根日ノ岬) |
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1903年6月 (明治36年6月) |
日本郵船会社がジョージ・マクベン会社(上海)を買収、上海―漢口間航路開始 |
アメリカによりホノルル―ミッドウェー間海底電線布設 |
小月尾島燈台(韓国仁川港)・八尾島燈台(韓国仁川港口)点灯 |
1903年8月 (明治36年8月) |
若松燈台点灯(北九州若松港突堤の尖端) |
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1903年11月 (明治36年11月) |
日本海命令航路が大家商船会社と大阪商船会社の共同運航となる |
||
1904年1月 (明治37年1月) |
佐世保―大連間の海底電線布設 |
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1904年2月 (明治37年2月) |
対馬卒土浜―巨済島―漆原半島間の海底電線布設 |
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1904年3月 (明治37年3月) |
小那沙美島燈台点灯(広島湾小那沙美島) |
||
1904年3月 (明治37年3月) |
姫島燈台点灯(大分姫島東端) |
||
1904年3月 (明治37年3月) |
水ノ子島燈台点灯(豊後水道中央水ノ子島) |
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1904年4月 (明治37年4月) |
鳧島燈台点灯(韓国仁川港口東水道) |
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1904年5月4日 (明治37年5月4日) |
石橋絢彦が韓国でイギリス人総税務司ブラウンと面会。対ロシア戦争遂行のため、朝鮮半島沿岸における燈台建設計画を伝達 |
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1904年5月 (明治37年5月) |
1903年にロシアが建設した南三山燈台(大連港南三山島の南端山中腹)を日本海軍が占領・接収 |
||
1904年6月7日 (明治37年6月7日) |
大和島燈台点灯(韓国平安北道宜川湾沖) |
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1904年9月 (明治37年9月) |
山口県角島―沖ノ島―対馬間の海底電線布設 |
||
1904年11月 (明治37年11月) |
名古屋港燈台点灯(名古屋港西突堤端) |
||
1904年12月 (明治37年12月) |
対馬尾崎―巨済島間海底電線布設 |
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1905年1月14日 (明治38年1月14日) |
大阪商船会社による神戸―大連航路開設 |
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1905年1月 (明治38年1月) |
清国が建設し、日清戦争後はロシアが管理していた老鉄山燈台(旅順港・1893年建設)、老虎尾燈台(旅順港口西側・1888年建設)を日本海軍が占領・接収 |
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1905年3月 (明治38年3月) |
福浦燈台点灯(能登半島福浦港口) |
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1905年4月1日 (明治38年4月1日) |
大阪商船会社による淡水―福州間航路開設 |
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1905年4月12日 (明治38年4月12日) |
巨文島燈台点灯(韓国全羅南道ハミルトン港別嶼) |
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1905年4月 (明治38年4月) |
大阪商船会社による鎮南浦―安東間航路開設 |
五島白瀬燈台点灯(五島列島平島の西方白瀬岩上)/若宮燈台点灯(壱岐若宮島の北端) |
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1905年4月 (明治38年4月) |
沖島燈台点灯(対馬海峡東水道沖島の頂上) |
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1905年5月15日 (明治38年5月15日) |
七発島燈台仮点灯(韓国全羅南道羅州群島、1905年11月本点灯) |
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1905年5月18日 (明治38年5月18日) |
大阪商船会社による大阪―漢口間航路開設 |
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1905年5月 (明治38年5月) |
大阪商船会社による長崎―鎮南浦間航路開設 |
東京―グアム間海底電線のうち川崎―父島間の布設工事に着手 |
|
1905年6月12日 (明治38年6月12日) |
大阪商船会社による大阪―沖縄―基隆間航路開設 |
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1905年7月12日 (明治38年7月12日) |
ロシアが建設したサハリン島の近藤岬燈台を日本海軍が占領・接収(のち西能登呂燈台と改称) |
||
1905年7月 (明治38年7月) |
北海道猿払―樺太能登呂間の海底電線布設 |
||
1905年7月 (明治38年7月) |
稚内坂ノ下―樺太海馬島―アレクサンドロフスク間の海底電線布設 |
||
1905年8月14日 (明治38年8月14日) |
大阪商船会社による大阪―安東間航路開設 |
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1905年9月 (明治38年9月) |
日本政府とアメリカ商業太平洋電信会社との間で東京―グアム間海底電線の布設・運用に関する約定締結 |
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1905年10月5日 (明治38年10月5日) |
ドイツによりヤップ島―上海間の海底電線布設 |
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1905年10月 (明治38年10月) |
日本郵船会社による横浜―高雄間貨物航路開始 |
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1905年11月 (明治38年11月) |
松江―欝陵島―元山間の海底電線布設 |
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1905年12月21日 (明治38年12月21日) |
|||
1905年12月 (明治38年12月) |
東洋汽船会社による香港―横浜―サンフランシスコ―チリ間航路開始 |
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1905年12月 (明治38年12月) |
大阪商船会社による大阪―大連間、大阪―安東間、大阪―牛荘(営口)―天津間、大阪―ウラジオストク間航路開始 |
||
1906年1月1日 (明治39年1月1日) |
樺太近藤岬燈台(のち西能登呂燈台)が海軍省から逓信省航路標識管理所に移管 |
||
1906年2月25日 (明治39年2月25日) |
大阪商船会社により大阪―天津間航路開設 |
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1906年3月 (明治39年3月) |
蔚崎燈台点灯(韓国慶尚南道蔚山港外) |
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1906年3月 (明治39年3月) |
鴻島燈台点灯(韓国慶尚南道巨済島の南方) |
||
1906年3月 (明治39年3月) |
牛島燈台点灯(韓国全羅南道済州島の東方) |
||
1906年4月1日 (明治39年4月1日) |
大阪商船会社による長崎―大連間航路開設 |
||
1906年4月 (明治39年4月) |
日本郵船会社により函館―大泊(コルサコフ)間航路開設 |
||
1906年4月 (明治39年4月) |
大阪商船会社による神戸―大連間航路開設 |
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1906年5月23日 (明治39年5月23日) |
日本郵船会社による香港―バンコク間航路開設 |
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1906年5月 (明治39年5月) |
大阪商船会社による大阪―鎮南浦間航路開設(1907年11月廃止) |
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1906年6月 (明治39年6月) |
日本郵船会社による横浜―漢口間(のち大阪―漢口間)航路開設(1907年12月廃止) |
東京―グアム間海底電線のうち川崎―父島間竣工 |
大阪南突堤燈台点灯(大阪港南突堤の尖端)。大阪北突堤燈台点灯(大阪港北突堤の尖端) |
1906年8月 (明治39年8月) |
海底電線布設船・小笠原丸竣工 |
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1906年8月 (明治39年8月) |
小笠原島父島―母島間に海底電線布設 |
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1906年10月 (明治39年10月) |
大島―新島―三宅島―八丈島間に海底電線布設 |
土々呂港燈台(宮崎東臼杵郡土々呂港) |
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1906年10月 (明治39年10月) |
絶影島燈台点灯(韓国釜山港外) |
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1907年3月25~31日 (明治40年3月25~31日) |
日本郵船会社・大阪商船会社・大東汽船会社・湖南汽船会社の長江航路を合併して日清汽船会社設立、漢口―常往間、九江―南昌間、鎮江―清江間を新規に航路開設 |
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1907年4月3日 (明治40年4月3日) |
大阪商船会社により小樽―ウラジオストク間航路開設 |
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1907年4月9日 (明治40年4月9日) |
大阪商船会社により敦賀―ウラジオストク間航路開設 |
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1907年7月 (明治40年7月) |
青森磯野―函館大森浜間の海底電線布設 |
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1907年7月 (明治40年7月) |
樺太久春内―名寄―真岡―海馬島間の海底電線布設 |
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1907年9月 (明治40年9月) |
時下島燈台点灯(韓国木浦港外時牙海) |
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1907年12月 (明治40年12月) |
竹島燈台点灯(韓国全羅南道孟骨群島) |
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1908年1月 (明治41年1月) |
木浦口燈台点灯(韓国木浦港口花源半島北端) |
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1908年4月 (明治41年4月) |
三池港燈台点灯(島原海湾三池港北突堤端) |
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1908年7月 (明治41年7月) |
東洋汽船会社による南米航路中止 |
小樽港燈台点灯(小樽港防波堤端) |
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1908年10月 (明治41年10月) |
日清電信協定締結、大連―芝罘間の海底電線を共同で布設することを決定 |
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1908年12月 (明治41年12月) |
冬外串燈台点灯(韓国慶尚北道迎日湾の東角東馨岬) |
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1908年12月 (明治41年12月) |
港門島燈台点灯(韓国全羅南道所安群島) |
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1908年12月 (明治41年12月) |
下鳥島燈台点灯(韓国全羅南道長竹水道) |
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1909年3月 (明治42年3月) |
日本郵船会社による香港―タコマ間航路開設 |
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1909年4月 (明治42年4月) |
東洋汽船会社による南米航路再開 |
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1909年4月 (明治42年4月) |
大阪商船会社による内地―樺太間航路開設 |
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1909年6月 (明治42年6月) |
大連―芝罘間海底電線布設 |
三宅島燈台点灯(伊豆三宅島) |
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1909年6月 (明治42年6月) |
格列飛島燈台点灯(韓国忠清南道格列飛島) |
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1909年7月3日 (明治42年7月3日) |
大阪商船会社により香港―タコマ間航路開設 |
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1909年7月 (明治42年7月) |
屋島燈台点灯(伊予灘屋島の南端) |
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1909年8月 (明治42年8月) |
稲取燈台点灯(伊豆賀茂郡稲取の北東方) |
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1909年9月 (明治42年9月) |
彭佳嶼燈台点灯(台湾北岸の洋中彭佳嶼) |
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1909年11月 (明治42年11月) |
末島燈台点灯(韓国全羅北道北側列島) |
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1909年11月 (明治42年11月) |
水運島燈台点灯(韓国鴨緑江東水道盤城列島) |
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1909年12月 (明治42年12月) |
加徳島燈台点灯(韓国慶尚南道加徳水道) |
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1909年12月 (明治42年12月) |
木徳島燈台点灯(韓国忠清南道フェリールス列島) |
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1910年1月 (明治43年1月) |
東洋汽船会社による横浜―バルパライソ間航路開設 |
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1910年1月 (明治43年1月) |
大阪商船会社により、長崎―鎮南浦間、長崎―大連間航路開設 |
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1910年5月 (明治43年5月) |
神島燈台点灯(伊良湖水道神島の北東端) |
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1910年5月 (明治43年5月) |
細島燈台点灯(宮崎細島) |
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1910年5月 (明治43年5月) |
大老鹿島燈台点灯(韓国全羅南道在遠西水道) |
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1910年6月 (明治43年6月) |
台東燈台(卑南燈台)点灯(台湾東岸台東) |
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1910年7月 (明治43年7月) |
小茅島燈台点灯(韓国全羅南道所安群島の東方) |
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1910年8月 (明治43年8月) |
攝島燈台点灯(韓国全羅南道小群島) |
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1910年10月1日 (明治43年10月1日) |
朝鮮総督府に航路標識管理所設置 |
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1910年10月 (明治43年10月) |
大阪商船会社により横浜―大連間航路開設 |
長崎県茂木―台湾淡水間の海底電線布設 |
所里島燈台点灯(韓国全羅南道金釐列島) |
1910年10月 (明治43年10月) |
魚龍島燈台点灯(韓国全羅南道金釐列島) |
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1910年11月 (明治43年11月) |
日本政府が大北電信会社より対馬―釜山間の海底電線を買収 |
竹邊湾燈台点灯(韓国慶尚北道龍湫岬) |
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1911年3月 (明治44年3月) |
小島燈台点灯(志摩小島) |
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1911年4月1日 (明治44年4月1日) |
大阪商船会社による高雄―上海間航路開設 |
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1911年5月 (明治44年5月) |
巨文島―朝鮮興陽半島間の海底電線布設 |
岩内港燈台点灯(北海道岩内港防波堤端) |
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1911年8月 (明治44年8月) |
叶埼燈台点灯(高知叶埼) |
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1911年8月 (明治44年8月) |
東吉嶼燈台点灯(台湾澎湖列島東吉嶼上) |
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1911年10月 (明治44年10月) |
日本郵船会社による横浜―神戸―門司―上海―香港―シンガポール―ペナン―ラングーン―カルカッタ間航路開設 |
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1911年11月 (明治44年11月) |
統営燈台点灯(韓国慶尚南道統営港外放火島) |
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1911年12月 (明治44年12月) |
鞍島燈台点灯(韓国仁川港外長安堆の西方) |
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1912年1月 (明治45年1月) |
特牛燈台点灯(山口豊浦郡特牛) |
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1912年2月 (明治45年2月) |
大連港燈台点灯(大連港東防波堤北端) |
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1912年3月2日 (明治45年3月2日) |
朝鮮郵船会社設立(1912年4月1日開業)、門司―雄基間、木浦―鎮南浦間、釜山―木浦間航路開設 |
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1912年3月 (明治45年3月) |
山口県吉見―朝鮮岩南間の海底電線布設 |
清水燈台点灯(清水港外出鼻) |
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1912年3月 (明治45年3月) |
木浦燈台点灯(韓国木浦港) |
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1912年3月 (明治45年3月) |
於青島燈台点灯(韓国忠清南道外烟列島) |
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1912年7月 (大正元年7月) |
日本政府が大北電信会社と交渉し日中間の通信料金を合併計算することを条件に長崎―上海間海底電線布設の同意を得る |
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1912年 (明治45年) |
台湾総督府による淡水―香港航路開設命令、大阪商船会社が受命 |
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1912年 (明治45年) |
台湾総督府による高雄―大連航路開設命令、大阪商船会社が受命 |