Top Page > JACAR Glossary Search
Area | 日本 |
---|---|
City name | 東京 |
Commentary | 1885(明治18)年9月29日に郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が合併して成立し、同年10月1日に開業。資本金は1100万円であり、日本政府より年額88万円の定額補助金が下付された。設立当初は国策会社的性格が強かったとされる。大阪商船・東洋汽船とともに社船と称された。初代社長には共同運輸会社出身の森岡昌純が就任したが、成立直後の人事異動により三菱出身者が経営陣をほぼ独占し、2代社長・吉川泰二郎、3代近藤廉平とも三菱出身であった。創業当初は政府命令航路14路線を受命したが、国内航路中心で不定期航路の比重も高かった。その後、香港航路・マニラ航路・ボンベイ航路(1893年開設)など遠洋定期航路を開設した。日清戦争後は、欧州(1896年3月)・北米(同年8月)・豪州(同年10月)の遠洋航路を開設。1901年には長江航路に進出し、1902年に湖南汽船会社に出資するとともに、1903年6月15日にマクベーン洋行(イギリス資本)を買収した。1906年には横浜―漢口間航路を開設したが、のち日清汽船会社に譲渡。日露戦争の際は所有船の9割に当たる72隻が徴用され、多くの航路が一時中止または縮小に追い込まれた。日露戦争後は大阪商船会社との競争が激化。第一次世界大戦後はリバプール線・ハンブルグ線を開設し、1926年2月16日には東洋汽船会社を合併して、同社の太平洋航路を継承した。第二次世界大戦期には海運統制により国家管理となり、日本敗戦後の1950年4月1日に海運の国家管理が終了し民営還元が実現すると、1952年に欧州・ニューヨーク・シアトル航路などを復活させた。1964年の海運再編により三菱海運と合併した。 |
Upper level hierarchy | Meiji > Manufacturing Industry/Engeneering/Transportation/Communication > Marine Transport Companies > Nippon Yusen Kaisha |
Reference materials | 「日本郵船会社」(小風秀雅執筆)丸山雍成・小風秀雅・中村尚史編『日本交通史辞典』吉川弘文館、2003年、714-716頁。 |