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( 昭和17年(1942年)1月7日 )
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壮絶ハワイ真珠湾殲滅戦 |
新戦場辞典 グアムとウェーキ |
新戦場辞典 ペナン |
新戦場地誌 既に三十年来日本人の島 ミンダナオ |
英領ボルネオに戦果拡大 |
世界で最初に占領した英領香港 |
前線の兵隊さんに郷土便りを |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)1月14日 )
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マレー南下の先鋒 |
油田まづ我が手に帰す 英領ボルネオ |
輸送船団とその護衛 |
ビルマルート終焉 |
新戦場辞典 マニラ |
大詔奉載日の設定 |
わが荒鷲の好餌 マレー、ビルマ、フィリピン、蘭印、豪州を中心とする米英戦闘機群 |
日本本土を空襲し得る米航空母艦 |
食糧確保 桑園も麦畑へ 高知県 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)1月21日 )
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緒戦の初春を飾る 一月八日陸軍始観兵式 東京代々木原頭 |
マニラ陥つ |
英領ボルネオ戦線 |
新戦場辞典 蘭領ボルネオ |
新戦場辞典 セレベス島 |
香港の新発足 |
第一回大詔奉載日 東京日比谷公園 |
燃料も大丈夫 宮崎県大束村 |
お蜜柑を兵隊さんへ 和歌山の女学生奉仕 |
支那大陸にも米英撃滅の烽火 |
( 昭和17年(1942年)1月28日 )
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東條陸相産業戦士を激励 川崎市 |
ハワイ海戦詳報第二報 |
ウェーキ島の戦果 |
要塞攻撃戦 香港の戦跡に見る |
バタアン半島を敗走の米比軍 |
潜水艦戦術と米英の勢力 |
祖国を担って今日から海の子 海兵団 |
鋏をハンドルに持ち代へて 徳島の女子バス運転手 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)2月4日 )
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南へ!南へ!シンガポールはもう眼の前だ |
陸軍宣伝班から第一報マレー戦線 |
シンガポール夜間爆撃 |
老英帝国東亜百年の侵略基地シンガポール市 |
シンガポール附近詳図 |
新戦場辞典 ビスマルク群島 |
ビルマへ進撃 |
新戦場辞典 ビルマ |
お嬢さん軍属第六百十号 陸軍被服本廠の女子挺身隊 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)2月11日 )
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東久邇宮殿下畏くも国土防衛の指揮に当らせらる |
雪の監視哨 |
防空鉄壁陣 |
帝都の防火陣 |
バタアン半島ますゝ圧迫 |
新戦場辞典 ニューギニア |
特配のお砂糖は市電に乗って 東京 |
食糧確保凍る渚に戦ふ 富山県 |
白雪の峰に挑む国防スキー訓練 新潟県 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)2月18日 )
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全マレー半島は日章旗 |
敵が撮影したフィリピン爆撃 |
新戦場辞典ジャヴァ |
春光る香港 |
防空にこれだけは心得て置かなくてはなりません |
暁の哨空 |
北に鍛える 北海道十勝拓殖実習場 |
兵隊さんのカメラ |
( 昭和17年(1942年)2月25日 )
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南方方面陸軍最高指揮官寺内壽一大将 |
帝国陸海軍初の落下傘部隊 セレベス島メナド スマトラ島パレンバンに初陣 |
ジョホール水道強行渡過 |
西へ西へラングーン目指して ビルマ戦線 |
新戦場辞典 スマトラ |
大御稜威のもとに シ港陥落の喜びに沸く帝都 |
時も時共栄圏内に満州国は十歳の誕生日 |
さあ次の時代も大丈夫 徳島県富田国民学校児童 |
シンガポール最後の日 |
( 昭和17年(1942年)3月4日 )
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天皇陛下民草の赤誠にこたへさせ給う 二月十八日宮城前広場 |
二月十五日シンガポール陥落す |
息吹くマニラ |
帝国軍艦旗翩翻たり 昭南島セレター軍港 |
新戦場辞典 ラングーン |
新戦場辞典 チモール |
落下傘部隊はこのように育てられた 陸軍 |
一億の万歳合唱 |
( 昭和17年(1942年)3月11日 )
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大東亜戦争戦没者慰霊祭 二月二十五日 東京日比谷 |
殲滅一歩前 比島バタアン半島戦線 |
米本土に初の砲撃 帝国潜水艦の奇襲作戦 |
昭南島通信 |
新戦場辞典 オーストラリア |
新戦場辞典 バリ島 |
建国十周年盟邦の躍進を壽ぐ 東京・日比谷公園 |
どんと南の海越えて 和歌山県太地町 国民学校捕鯨訓練 |
百二十三点の花嫁御寮 和歌山県江住村の結婚戦時体制版 |
空襲何ぞ 食糧国防団の配給訓練 |
( 昭和17年(1942年)3月18日 )
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純忠比なし軍神九柱 特別攻撃隊の偉勲畏くも上聞に達す |
海鷲必殺の体当り 敵航空母艦の撃沈確認さる |
炎熱の三月をラングーンへ驀ら |
新戦場辞典 バタヴィアとスラバヤ |
栄ある陸軍記念日に 大東亜民族交歓大会 東京後楽園 |
白銀の機動戦 関東軍冬期訓練大会 満州国通化 |
建国十周年 建国節 三月一日 新京 |
( 昭和17年(1942年)3月25日 )
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サンボアンガに敵前上陸 フィリピンミンダナオ島 |
あはれ恥なき姿敵俘虜二十有二万 |
椰子もお猿も日本晴れ ボルネオ通信 |
満州国から 謝恩特派大使来訪す |
海の底から屑鉄回収 静岡県清水港 |
把った手綱に国護る心意気 宮崎県住吉村女子畜耕班 |
戦勝第二次祝賀の日 三月十二日 |
( 昭和17年(1942年)4月1日 )
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開戦三ヶ月不敗の態勢成る |
ラングーン陥落す 三月八日 |
蘭印軍無条件降伏す 三月九日 |
春寒き 山西の粛清戦 |
幾百の機雷と取組む ムシ河遡行に掃海艇隊の蔭の苦闘 |
南方から続々寶船 |
北洋の護りまた厳たり |
みんなで育てた鯉はこんなに 東京市鎌田国民学校 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)4月8日 )
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大元帥陛下修武台飛行場に臨御 |
船は兵器だ 戦時輸送強化運動 |
脚だ腕だわれらの武器は 戦時輸送強化運動 |
教壇に立つ日は近し遺児を抱いて 岐阜特設国民学校訓導養成所 |
建設一路 日の丸バスも快速調 昭南島通信 |
独逸海軍の仇 エクゼターを屠る |
少年保護運動旬間 四月八日−十七日 春陽うらら若木よ伸びよ 愛知県瀬戸少年院 |
米を積む瀞八丁のプロペラ船 |
( 昭和17年(1942年)4月15日 )
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地下千二百尺の東條総理 |
南京還都 二周年の喜び |
オランダは世界地図から消えた |
俘虜と良民証 昭南島 |
よく食べよ よく寝よ よく笑へ 豆産業戦士の憩いの家―東京 |
よくぞすてた算盤 沃野が諸君を待っている |
今こそ我等は大地の戦士 |
決然再出発する人々のために 西部国民勤労訓練所 奈良市 |
( 昭和17年(1942年)4月22日 )
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軍神九柱の合同海軍葬 四月八日 東京日比谷公園 |
海軍新鋭攻撃機発表さる |
インド洋上 既に敵影なし |
インドの鼻先に日章旗 アンダマン島攻略 |
新戦場辞典 インド |
櫻花はらりと社頭に散って 靖国神社春の臨時大祭せまる |
マニラ娘は唄う大東亜の歌 |
僕等の任務はまづ身体 宮崎県延岡市岡富国民学校 |
氷を砕いて十万メートル 長野佐久平の改田工作 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)4月29日 )
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大地を匍って猛攻八日 バタアン半島完全攻略成る |
何を語るか俘虜の横顔 香川県善通寺俘虜収容所 |
黒い手で振る赤い日の丸 スマトラ・ボルネオ |
殖やせ強い子強い民 健民運動 五月一日−八日 |
これからの結婚はこのように |
水兵服のお母さん 島根県立松江高等女学校の『母の教室』 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)5月6日 )
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タイ国慶祝使節晴れの入京 |
北満の原野に儼たり無限軌道の轟き |
英航母ハーミス号ベンガル湾深く轟沈す |
椰子の湯枕 子供らはイロハの勉強 グアム島の相貌一変す |
備えへありわが機械化消防陣 |
木々ものびるこの春 強い児になれ 東京府下 久留米学園 |
かもめだ いわしだ 大漁 燃料不足を乗切って戦う金華山沖の鰮船 |
靖国の社頭に聴く |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)5月13日 )
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帝都訪問へ 陸軍新鋭機大編隊 四月二十七日 |
身の置き所もなしインド洋 わが海軍航空部隊英ニ甲巡撃沈 |
全島これ金肥 クリスマス島占領 |
マンダレーへ敵前架橋 ビルマ戦線 |
新馬来 |
兵隊サン ボクラガカイタ絵デス |
サイゴン米は出盛りだ |
老いも若きも溌剌と近代タイの建設へ 駐タイ特命全権大使 井上貞二 |
日本に学ぶ タイ国慶祝使節 ピヤ・パホン中将一行 |
さあさ来ました移動幼稚園 東京市野外保育奉仕班 |
中国の平和はわれらの手で 北支第四次治安強化運動 |
( 昭和17年(1942年)5月20日 )
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必勝の秘策練る作戦室の永野軍令部総長 |
東西一万浬敵艦すでに影を没す |
機腹に巨弾呑んで 海軍航空隊 |
続々生れる佐久間部隊 海軍潜水学校 |
古城の跡に軍艦旗 アンボン片信 |
今日はみんなで海軍館を見学しませう |
写真機を握る戦闘員 |
大東亜海をゆく わが海軍病院船 |
忙しかつたこの半年 |
( 昭和17年(1942年)5月27日 )
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皇恩津々浦々に洽し 侍従を全国に御差遣あらせらる |
コレヒドール島要塞 遂に陥つ 五月七日 |
全ビルマ平定近し |
米英頽勢挽回にあがく |
汪主席満州国を訪問 満華兄弟の実を示す |
仏印のお友だちから絵のお返し |
皇軍をみならう仏印の兵隊さん |
織手は跳り機械も歌う 桐生市外 北川レース工場 |
全半島は五月晴れ 朝鮮に明後年より徴兵制度実施 |
( 昭和17年(1942年)6月3日 )
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珊瑚海海戦 |
佳節を壽ぐ 新生の日本人 昭南島から |
祖国インドの解放へ 独立軍を編成したインド兵 |
俘虜のトランプ占い 後悔先に立たず |
輝く戦果にこたへよう 着々整備をすすめる国内体制 |
軍の手で握る 非常炊出し実演 |
電波戦の基地に女性整備員 女子無電技術者講習所 茨城県八俣村 |
北の海に戦うソーラン節 樺太の鰊漁場報告 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)6月10日 )
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高松宮殿下御渡満 満州国皇帝陛下と固き御握手を交させ給う |
重慶の腹背を衝く ビルマから浙東から |
五目飯と陸戦隊 |
特配の重油で獲れたぞ初鰹 |
荒地から二十五万町歩 岐阜県苗地農地開発 営団事業所を訪う |
大御稜威を謝し奉る 海軍陸戦隊 五月二十七日 海軍記念日 |
親切を笑顔と手真似で 安南嬢とわが戦傷勇士 |
真心咲き匂う慰霊花壇 大阪市住吉国民学校 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)6月17日 )
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何としても勝抜く為だ 二百三十億貯蓄強調週間 |
何としても勝抜く為だ 弾丸も大砲も貯蓄から |
何としても勝抜く為だ 貯蓄総進軍 |
新戦場辞典 シドニーとマダガスカル |
花吹山とパプア人 海鷲はばたくアンボンの町 |
新戦場辞典 雲南省 |
仏塔に輝く慈光 ビルマ全土戡定なる |
われこそ技術日本一 第一回技能鍛錬中央大会 |
国民映画 山参道 母子草 |
( 昭和17年(1942年)6月24日 )
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天皇陛下鹵獲兵器を天覧あらせらる |
天覧を賜った鹵獲兵器 |
躍進せんとするタイ国 若い国の若い指導者ピブン首相 |
メナム河畔の海軍兵学校 |
日本に育つタイの若鷲 |
新戦場辞典 浙江省と江西省 |
新戦場辞典 アリューシャン列島 |
整然たる混雑へ 交通道徳を守りませう |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)7月1日 )
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重慶に最後の止め刺す日まで 支那事変五周年 七月七日 |
浙江江西作戦進む |
水路に麦秋の唄 支那事変五周年 北支の物資と内河水運 |
新中国の陽は明るく |
落日の重慶は暗し |
新戦場辞典 広東省 |
マレー女とニッポン語 |
バダヴィアの千早学校 |
日タイ同盟慶祝答礼使節 廣田弘毅氏 |
機械化部隊のお医者さん 陸軍機甲整備学校 |
ひよろく敵機いつでも来い 女子防災軍聯指導者練成会 岡山市 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)7月8日 )
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雪の濃霧地帯へも アリューシャン攻略詳報 |
キスカ島占領 六月七日 |
アッツ島も占領 六月八日 |
焦土に萌える 比島キャビテ軍港復興 |
マカッサルの更生車 |
僕は満州の少年技術兵 |
世界戦局展望 枢軸軍東西の攻勢 米英を窮地に追込む |
米一粒麦一粒も増産へ |
チマたくし上げ今年も増産供出へ |
日本精神に学ぶ 増産応援の半島青年部隊 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)7月15日 )
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船が勝利を運ぶのだ 少年よ海へ 児島海員養成所 岡山県味野町 |
戦時標準船建造は進む |
神父の仮面から諜報の眼 フィッシャー事件 防諜週間 七月十三日−十九日 |
上海の米英諜報団検挙 |
支那事変記念銃剣道訓練大会 東京代々木 |
米政府強制移住を強行す 北米在住同胞よ勝利の日を待て |
子供の信用組合 兵庫県 味間国民学校 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)7月22日 )
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おお寒いこの戦線 アッツ島 |
残敵を飛沫に散らして 海南島 |
マニラの敵国人収容所 |
ニコバル島無血占領 |
チョン髷とマレー人 ジョホール・バル陸軍兵站病院の慰問運動会 |
世界に誇るペナンの錫製煉所 |
ニッポンゴで埋め尽くす 昭南島 |
湖をゆく日の丸 ビルマ |
( 昭和17年(1942年)7月29日 )
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夏期心身鍛錬運動 七月二十一日から八月二十日まで |
暑熱吹き飛ぶ一!二!三! |
踊る逞しさ美しさ |
寮は若気の浪費場ならず 茨城県多賀高等工業学校の錬成寮 |
慰問袋で浴衣も襦袢も 兵隊さんの陣中作品展 |
サイゴンのひざし |
インド独立運動とバンコク大会 |
南の街を十分間旅行 サイゴン |
南の街を十分間旅行 昭南市 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)8月5日 )
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噫々軍神 加藤建夫少将 |
双葉より神鷲の面影 軍神の遺品 |
使命果した廣田特派大使 |
セレター軍港今や全し 昭南島 |
囚人部落も日の丸に協力 フィリピン・パラワン島 |
配給の煙草に歓呼わく ボルネオ・サマリンダの町 |
片足で踏み登る一万二千尺 東京府下傷痍軍人の国威宣揚富士登山 |
防空待避所の作り方 |
壮丁に金槌あるべからず 埼玉県秩父町在郷軍人分会の壮丁者水泳講習会 |
ザリガニ殲滅戦 東京市葛飾区 |
白衣勇士を慰める祇園囃子 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)8月12日 )
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日本色に栄える昭南島 |
南を飛ぶ ハンマーを振う者 鈴木企画院総裁談 |
快速調の比島建設 |
フィリピンの看護婦さん マニラ○○兵站病院 |
人も艦もひと息入れて |
観武台下の若櫻 名古屋陸軍幼年学校 |
胸迫る子供たち 軍神岩佐中佐敬頌班 |
軍神の生家を訪ねて |
日光中禅寺湖畔日タイ学生鍛錬会 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)8月19日 )
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必勝石油態勢成る ボルネオ |
ニューギニア |
なほも前進するドイツ軍 死闘をつづける独ソ戦線から |
宿敵英国今こそこの一弾 昭南島にインド兵の砲術訓練 |
再建スマトラ朗々譜 |
敗残米比軍に鉄槌 比島レイテ島に敵前上陸 |
マニラの日曜日 |
十分間の国策案内 移動展五十三次 |
吾妻艦上の学徒海洋教練 舞鶴 |
海の子も空の子もいる |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)8月26日 )
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米州からの交換船昭南島に安着 |
俘虜も御奉仕昭南神社の御造営 |
帝国海軍ここにも作戦を展開 支那方面艦隊の温州封鎖 |
わが潜水艦見事 敵輸送船を撃沈 |
タイ国の幼稚園 |
働きながら療養できる 傷痍軍人奉公財団山梨作業所 |
九月の常会 |
大学生のお医者さん 山村僻地を往診 埼玉県秩父 |
樺太オタスのよいこども |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)9月2日 )
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偉なる祖国懐しの母国 米州から交換船で帰った人々 |
ソロモン海戦 舷々相摩す暗夜の奇襲 |
田中新比島方面陸軍最高指揮官着任す |
強いタイ国を生む次代の母 |
体の弱い子供たちに夏季鍛錬の成績は 長崎市戸町国民学校 |
夏休みを満州建設に |
戦線と銃後をかける空飛ぶ往復ハガキ |
ミシン擔いで教えられたり教えたり |
銃後のカメラ 空の軍神の生家を訪ねて 北海道旭川市 河崎 清 |
( 昭和17年(1942年)9月9日 )
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工兵魂上聞に達す |
台湾から比島へ軍役奉仕隊 |
日本語講習会は超満員 マニラ |
満州国建国十周年を讃う 目覚しきその躍進 |
満州国建国十周年を讃う 慶祝動員大会 |
十年前の新京と今の新京 |
天晴れ技能章を日本一の胸元に |
われ等も赤子 増産報国へ 水戸共栄報恩会 司法保護記念日 九月十三日 十四日 |
六年目の鳩班長 大阪市育和国民学校 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)9月16日 )
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敵の反攻睨んで |
敵空軍恐怖の的 隼 |
我に幾倍の新鋭空母あり |
翼の戦線 北に南に必勝不敗 |
空の神兵 映画「空の神兵」より |
空は諸君を待っている 米子地方航空機乗員養成所 |
月産00機 陸軍新鋭爆撃機製作工場 |
あとの空は僕らで引受けよう 大阪府布施市青少年団の航空訓練 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)9月23日 )
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闇! しかも帝都にこの行為 九月八日−十日警視庁経済警察部員と同行撮影 |
親切八百屋とほほえむ一列 |
経済警察は正しいものの味方です |
神宮御造営の萱場作りに パラオからも光栄の奉仕隊 |
マレー音頭 |
お父様の武勲の跡を見ていらっしゃい 東條総理満州へ立つ遺児を激励 |
新中国を導く青年学徒 実践に移された「新国民運動」 |
豊年満作を一刻も早くお国の穀倉へ 埼玉県早稲田村 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)9月30日 )
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新中国へ 答訪使節 晴れの首途 |
軍人援護強化運動 十月三日−八日 再起を夢みて傷も忘れた昨日今日 千葉県傷痍軍人下総療養所 |
夫の遺志をつぎ 明日への希望を胸に秘めて 軍人遺族東京職業補導所 |
兵隊さん有難う 愛知県八幡町第一国民学校 |
新生ジャワは我らの手で |
満州国皇帝陛下建国忠霊廟に御親拝 |
満州国建国十周年式典 新京 |
町から里へ 救援案山子隊 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)10月7日 )
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軍神加藤少将 陸軍葬 九月二十ニ日 東京 |
大臣を陣頭に 東條総理東大卒業生を激励 |
大臣を陣頭に 岸商相地下千尺に入る 福島県古河好間炭鉱 |
大臣を陣頭に 賀屋蔵相街に説く |
大臣を陣頭に 八田鉄相レールに立つ |
枢軸共同作戦ここに実現 |
猛訓練うける マニラの警察官 |
薩摩芋大当り 熊本県千田村 |
ここにも日独共同 在京ドイツ婦人の心をこめた贈物に |
紙を漉く国民学校 大阪府布施市長栄国民学校 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)10月14日 )
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武威山に忠霊塔 昭南島 |
軍艦旗に島民総出の協力 中部セレベス島掃討戦 |
脈うつ国鉄七十年 新丹那隧道工事始まる |
脈うつ国鉄七十年 特急昭南行 |
資金十一億円の大家さんが勤労者におくる住宅 |
軍服ぬいで倅も穫り入れ 収穫援助に陸海軍当局の協力 東部第二十三部隊 |
制服ぬいで女学生も 収穫援助に文部当局も 新潟県白根実科高等女学校 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)10月21日 )
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シドニー湾強襲の特別攻撃隊英霊祖国に還る |
ソロモン群島を鼻の先に ラバウルの我が基地悠々 |
ジャワを南の楽園に |
兵隊さんと二人三脚 傷痍軍人練成大運動会 東京 |
まづ白衣勇士の食膳に 外堀でとれた鯉一千尾 東京 |
二十分間に六十九メートル 縄なひ競技大会 |
さんま網大増産 茨城県 |
独仏俘虜交換協定 フランス |
薬用けしの増産 |
( 昭和17年(1942年)10月28日 )
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社長を陣頭に |
南方離着陸記 上 |
靖国神社祭典慰霊飛行 |
戦友に聖鍬を捧ぐ 近衛師団 |
豊年に部落総出の運動会 |
華北治安の宣伝自動車 |
( 昭和17年(1942年)11月4日 )
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君等も早くやって来い ぼくら海軍志願兵の生活 横須賀海兵団 |
南で北で先輩は奮闘中だ |
街も心も生れ変って 昭南島に帰還した人々 |
南方離着陸記 下 |
決意新たに慶祝双十節 南京 |
ドイツの戦争生活を観て |
台湾に国防訓練大会 |
輝く子宝日本一 |
同じ職場から新郎新婦 東京第一陸軍造兵廠 |
自給自足の純綿です 山梨県大同村 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)11月11日 )
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天皇 皇后両陛下 第十三回明治神宮国民練成大会に行幸行啓遊ばさる |
一億健民の熱戦譜 第十三回明治神宮国民練成大会 |
反攻の敵艦隊を撃滅 ソロモン海域 |
初雪を踏みしめ山西戦線を征く |
燃料を節約しませう 正しいガスの使い方 |
山では増産に必死です 岐阜県 |
輸送陣も懸命だ 群馬県 |
一日入営の豆戦車隊 富士山麓 |
元気一杯の大東亜の若人 第一団内外学生交歓体育大会 |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)11月18日 )
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南方は建設へ驀ら |
昭南駅はゴムの洪水 |
ラングーン朗景 |
マニラの国民学校 |
サイゴンの日語講習 |
スマトラの黎明 |
落葉で堆肥を 岐阜県 |
山羊のお乳を赤ちゃんへ 東京府多摩村 |
働く母を護りませう 東京第一陸軍造兵廠 |
海外通信 ドイツ すべては勝利のために |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)11月25日 )
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大陸建設も逞しく |
北支綿は躍進的増産へ 大陸建設を逞しく |
鉄路は山西の雪を衝いて 大陸建設を逞しく |
治安に自衛団必死の協力 |
十二月の常会 粥をすすっても |
眼は見えなくとも 増産戦士に按摩さんの奉仕団−岡山県 |
台湾の志願兵訓練所 |
宗教が結ぶビルマ |
壮絶南太平洋海戦 |
極寒敵中 一兵よく千に当る |
新生ビルマの放送車 |
仏領アフリカ防衛に起った独伊軍 |
( 昭和17年(1942年)12月2日 )
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詔書 |
帝国陸軍の眉宇に殉国の大文字をみる |
帝国海軍は海と空に国難を睥睨す わが航空母艦発着甲板上に待機する新鋭機 |
灼熱の赤心はこつて鋼鉄とならん 我が製鉄製鋼所は寧日なし |
戦車の生産は無限軌道に乗った |
われ一艦を失わばニ艦を建造せん |
勝利の船は龍骨も高く冬空を裂く |
軍用自動車広場広場を埋め尽す |
戦時非常輸送に超強力機関車は車輪がつけられた |
大東亜占領地資源はこれからの戦力だ |
敵アメリカは戦備に狂っている |
吾々は世界地図を塗りかえているのだ |
ビルマは明ける和やかに |
文字通り共栄の姿 |
一年の歳月にマニラは変貌した |
マレーの錫も戦う為に掘られた |
やさしく手をとって教えてくれる兵隊さん |
このようにして第二年を迎えた 潜水戦隊 |
このようにして第二年を迎えた 陸軍部隊 |
戦う国の戦う生活 この中にこそ生甲斐あり |
( 昭和17年(1942年)12月9日 )
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ラッフルス博物館に入る 昭南島 |
マレー建設に若き現地人指導者 昭南の興亜訓練所 |
初めて武器をもって起ち上つた ビルマ防衛軍の日本式猛訓練 |
香港のアジア復帰一年近く |
ガヨ族にも皇恩あまねく スマトラの建設すすむ |
南にあがる大漁旗 |
中支の輸送水路を護る 帝国海軍警備隊 |
大東亜一斉にラジオは叫ぶ一、二、三、 ラジオ体操 |
国民映画 |
( 昭和17年(1942年)12月16日 )
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天覧の栄に輝く 大東亜戦争陸海軍作戦記録画 |
ここに貯蓄の余裕あり 十二月の目標五十億円 |
軍国の母敢然一日入営 東京 |
見よ! この敗戦の姿を 米英俘虜群を生産拡充に 東京 |
皆さんが献納したヒマシは |
台湾のヒマシ献納運動 |
農村と都会を結ぶ戦友愛 新鮮な牛乳が信州から上野行き列車で |
茨城の山から帝都の冬へ 薪の贈物 |
千葉のお百姓さん お芋をありがたう |
銃後のカメラ |
( 昭和17年(1942年)12月23日 )
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天皇陛下 神宮に御参拝 戦勝を御祈願遊ばさる |
さあ二年目も勝ち抜こう 大東亜戦争一周年のこの日 |
必中必殺のわが雷撃に 十月十五日ソロモン群島南東 海面における敵艦の撃沈 |
敵機は必ず来る |
滞貨一掃の奉仕隊 東京 |
一月の常会 |
豪華な病院も住民へ開放 昭南市 |
恩威ボルネオの奥地に及ぶ |
銃後のカメラ お婆さんも入れる「翼賛学校」 |
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