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食生活に関係した資料をそろえています。 兵装に関係した資料をそろえています。


・文中の太字に下線がある語句は日露戦争用語集にリンクしています。

 1864年(元治元年)に誕生した国際赤十字組織から遅れること12年、日本でも明治10年(1877年)になって「博愛会」という傷病者の救護を目的とした非政府団体が結成され、西南戦争で活躍しました。 やがて博愛会は「日本赤十字社」と名称を変え、その活動を日清戦争・日露戦争でも続けています。
 さらに、外国の医師たちが自発的に来日して負傷兵の治療や介護にあたる他、海外の赤十字社も戦地での人道支援活動を行っていました。
 アジア歴史資料センターには、赤十字社に関連する以下のような資料があります。


1. 御署名原本・明治十九年・条約十一月十五日・瑞西国外十一国間に締結せる赤十字条約
2. 御署名原本・明治三十四年・勅令第二百二十三号・日本赤十字社条例
3. 日本赤十字社病院船使用に儀通報方の件
4. 篤志看護婦人会々員御海軍の衛生勤務幇助に関する件
5. 米国人マギー夫人等広島予備病院勤務方の件
6. 在営口米国領事より観察員を満州内地へ派遣の件


下の画像をクリックしていただくと、日露戦争と赤十字社にまつわる各資料を閲覧できます。




■ 国立公文書館所蔵 ■

表 題:御署名原本・明治十九年・条約十一月十五日・瑞西国外十一国間に締結せる赤十字条約

レファレンスコード:A03020009300

 日本が赤十字条約(1864年締結)に加入したのは、明治19年(1886年)になってからです。 赤十字条約は加入国に対して、戦争における負傷者や病院の保護、医療機関は「白地に赤十字を書ける」(原文カナ)旗や腕章の着用を義務づけています。



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■ 国立公文書館所蔵 ■

表 題:御署名原本・明治三十四年・勅令第二百 二十三号・日本赤十字社条例

レファレンスコード:A03020512600

 この資料は、日本赤十字社の業務を規定した条例の公文書です。 赤十字社の社長・副社長は就任時に天皇の勅許を得る、また日本軍の「戦時衛生勤務を幇助する」赤十字社の職員は下士官あるいは兵卒待遇を受けるなどの条項を定めています。



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■ 防衛省防衛研究所所蔵 ■

表 題:日本赤十字社病院船使用に儀通報方の件

レファレンスコード:C03025459500

 日露戦争において、日本赤十字社は博愛丸・弘済丸という二隻の船を使って傷病者を治療しました。 この資料によると、陸軍省はロシア政府に対して、その二隻は「「ジエネヴァ」條約」(原文ママ)が適用される病院船であると通告しています。



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■ 防衛省防衛研究所所蔵 ■

表 題:篤志看護婦人会々員御海軍の衛生勤務幇助に関する件

レファレンスコード:C03025440400

 この資料は、傷病兵を介護したいという日本赤十字社の女性看護士の要望に対する、陸海軍の返書です。 当時の女性の社会活動には制約が伴いましたが、資料中の「篤志看護婦人会」(有志の女性看護士の団体)のような例外もありました。



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■ 防衛省防衛研究所所蔵 ■

表 題:米国人マギー夫人等広島予備病院勤務方の件

レファレンスコード:C03025616100

 日露戦争が始まると、諸外国の人々が来日して医療活動に携わりました。 この資料は、アメリカ人の医師マギー夫人などの女性看護士が広島の病院で勤務する事を通達した陸軍の公文書です。 戦後、日本政府はマギー夫人に宛てて謝辞を送っています(表題:マギー婦人一行に対し謝辞の件 レファレンスコード:C03027616700)



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■ 防衛省防衛研究所所蔵 ■

表 題:在営口米国領事より観察員を満州内地へ派遣の件

レファレンスコード:C03025949000

 この資料は、在営口のミラー(H.B.Miller)アメリカ領事から、満州の中国人難民の実情を調べるために部下を派遣したいとの要請があった際の文書です。 ミラー領事は牛荘の赤十字会会長を兼務しており、難民の救援に関心を寄せていました。



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