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明治期から昭和の戦前期にかけての政治家・財政家です。
明治25年(1892年)に日本銀行に入行、明治32年(1899年)に同行副総裁となり、金本位制確立や日露戦争の戦費調達のための外債募集で活躍します。
昭和6年(1931年)に犬養内閣の蔵相に就任後、いわゆる高橋財政を展開しましたが、昭和11年(1936年)の二・二六事件で殺害されました。
享年81歳。 高橋是清に関する資料は、当アジア歴史資料センターに多数収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「高橋是清」と入力して 「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。 この方法で「高橋是清」をキーワードにして検索すると、1455件の資料が一覧表示されます。 資料があまりにも多い場合は、「高橋蔵相」と入力したり、年代を特定することでさらに絞り込むことができます。 |
解説文や年表の中の下線の付された文字は、 細字は関連する資料に、 太字は用語集に、 それぞれリンクしています。 |
年 | 出 来 事 | ||
安政元年 (1854年) |
現宮城県に生まれる | ||
明治20年 (1887年) |
初代特許局長に就任 | ||
明治25年 (1892年) |
日本銀行に入行 | ||
明治32年 (1899年) |
日本銀行副総裁に就任 | ||
明治37年 (1904年) |
2月17日にロンドン市場での外債募集を閣議で決定
2月24日、外債募集のため英国に派遣される
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明治40年 (1907年) |
男爵の称号を得る 高橋の日露戦争への貢献が認められ、爵位が授けられました。 | ||
明治44年 (1911年) |
日本銀行総裁に就任 | ||
大正2年 (1913年) |
第一次山本内閣の蔵相に就任 | ||
昭和6年 (1931年) |
犬養内閣において、五度目の蔵相に就任 この時、いわゆる高橋財政を推進します。 |
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昭和11年 (1936年) |
二・二六事件において殺害される(81歳) |