明治期の政治家で、とくに外務大臣としての活躍が有名です。 イギリスとの不平等条約の改正を担当した他、日清戦争三国干渉をめぐる日本外交の立役者でもあります。 日清戦争の後には持病の肺結核が悪化し、一時ハワイで療養しますが、帰国後、明治30年(1897年)に没しました。 享年53歳。
 陸奥宗光に関する資料は、当アジア歴史資料センターに多数収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

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 この方法で「陸奥宗光」をキーワードにして検索すると、現在のところ359件の資料が一覧表示されます。 また幕末時の名前である「陸奥陽之助」や「陸奥」などをキーワードとして入力したり、年代を特定して検索すると、さらに多くの資料を閲覧できます。

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出  来  事
弘化元年
(1844年)
現和歌山県に生まれる
明治11年
(1878年)
西南戦争の際に西郷軍に内通した容疑で逮捕され、禁固5年の刑を受ける
明治21年
(1888年)
駐アメリカ公使に就任
 メキシコ公使を兼任していた陸奥宗光は、メキシコとの不平等条約の改正に成功しました。
明治25年
(1892年)
外務大臣に就任
明治27年
(1894年)
日清戦争勃発
日英通商航海条約を結び、イギリスとの条約改正に成功
明治28年
(1895年)

日清講和条約に調印

表 題:下ノ関談判(上)(蹇蹇録)
レファレンスコード:B03030024500
表 題:下ノ関談判(下)(蹇蹇録)
レファレンスコード:B03030024600
 「蹇蹇録」(後述)に収録されている下関講和会議に関する資料です。
(外務省外交史料館所蔵)

「蹇蹇録(けんけんろく)」の執筆

表 題:蹇蹇録
 「蹇蹇録」とは、陸奥が関わった外交諸案件、とりわけ日清戦争三国干渉の顛末について多くの機密文書を用いて記した著作です。 外交文書が公開されていない当時においては特に、日清戦争時の外交状況を物語るほとんど唯一の資料として重視されました。
(外務省外交史料館所蔵)

明治30年
(1897年)

没(53歳)

表 題:依願免本官 外務大臣 伯爵陸奥宗光
レファレンスコード:A03023349600
 日清講和条約 後に持病の肺結核が悪化した陸奥は、1896年5月、自らの意思によって外務大臣の任を離れました。 その後、ハワイで療養生活を送り、帰国後の1897年8月にその生涯を閉じます。 これは、陸奥の辞職願の受理を示した書類です。また、辞職直後の日付が付された診断書も収められています。