明治期の日本陸軍における代表的な人物です。 戊辰・西南戦争で功績をたてた後、参謀本部第一局長や陸軍大学校校長、台湾総督、陸軍大臣などを歴任しました。 日露戦争においては、満州軍総参謀長として従軍しています。 1906年に現役のまま、54歳で没。
 児玉源太郎に関する資料は、当アジア歴史資料センターに収録されています。 具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

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出  来  事
嘉永5年
(1852年)
現山口県の徳山に生まれる
慶応4年
(1868年)
戊辰戦争に従軍
明治7年
(1874年)
佐賀の乱に従軍
明治10年
(1878年)
西南戦争に従軍
明治20年
(1887年)

陸軍大学校校長に就任
 児玉源太郎をはじめとする帝国陸軍の中堅幹部たちは、プロイセン軍人の御雇い教師であるクレメンス・メッケル(Klemens Wilhelm Jakob Meckel)に大きな信頼をよせていました。
(『坂の上の雲』文庫版第3巻、161〜162頁)

表 題:雇教師メッケル参内の件
レファレンスコード:C03030343300
 メッケルが任期を満了して帰国する直前、明治天皇は彼に対して感謝の意を述べるため、宮中に招きました。
(防衛省防衛研究所所蔵)

明治25年
(1892年)
陸軍次官と陸軍省軍務局長に兼任で就任
明治31年
(1898年)
台湾総督に就任
明治33年
(1900年)

陸軍大臣を兼任

表 題:兼任陸軍大臣 台湾総督陸軍中将 男爵児玉源太郎
レファレンスコード:A03023362200
 台湾総督だった児玉源太郎に陸軍大臣を兼任させる際の、内閣総理大臣の上奏書です。
(国立公文書館所蔵)

明治36年
(1903年)

内務大臣と文部大臣を兼任、その後に参謀本部次長に就任
 参謀本部次長だった田村怡与造が病死したため、児玉が大臣の地位をおりてその後任に就きました。
(『坂の上の雲』文庫版第3巻、157〜160頁)

表 題:参謀本部 仏国新軍用銃の件
レファレンスコード:C03022814700
 参謀本部次長になった児玉源太郎は、日露開戦にそなえて国際社会の最新情報の収集に力を注ぎました。
(防衛省防衛研究所所蔵)

明治37年
(1904年)

大将に昇進し、日露戦争に従軍
 大山元帥と児玉大将をはじめとする満州軍総司令部は、7月6日に東京を発して戦地に向かいます。 大山・児玉の二人は、以後に統帥の好例として賞賛される息のあった働きぶりを発揮します。
(『坂の上の雲』文庫版4巻、9〜14頁)

表 題:満洲軍総司令部職員の件
レファレンスコード:C03020134400
 開戦前の2月6日、石本陸軍次官が児玉参謀本部次長に、日本の要塞砲の射程内にロシア艦が入った場合に備えて準備を整えた件の報告を求めています。
(防衛省防衛研究所)

明治39年
(1906年)
参謀総長に就任し、南満州鉄道株式会社創立委員長となる
直後に病没(54歳)