明治期に活躍した日本海軍の軍人です。 日露戦争では旅順口港閉塞作戦に参加し、明治37年(1904年)3月27日に戦死しました。 その功績をたたえられた広瀬は、軍人の模範と賞賛され、国民的英雄となります。 広瀬の兄の広瀬勝比古(ひろせ・かつひこ)も海軍軍人として日露戦争に参加しており、明治44年(1911年)に少将に昇進した後、大正2年(1913年)没。
 広瀬武夫に関する資料は、当アジア歴史資料センターに収録されています。具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします
   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「広瀬武夫」と入力して
   「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。

 この方法で「広瀬武夫」をキーワードにして検索すると、1件の資料が一覧として表示されます。
 アジア歴史資料センターは今後、海軍関係の資料にも重点をおいて整備を進める予定です。 広瀬武夫をはじめとする海軍士官にまつわる公文書を続々準備しております。

解説文や年表の中の下線の付された文字は、
細字は関連する資料に、
太字は用語集に、
それぞれリンクしています。

出  来  事
慶応4年
(1868年)
現大分県の竹田に生まれる
明治18年
(1885年)

海軍兵学校に入校

表 題:東京湾砲台内へ出入の件
レファレンスコード:C03030608200
 明治23年(1890年)、広瀬勝比古大尉をはじめとする海軍士官が観音崎砲台における試射を見学するのを認可する通達です。
(防衛省防衛研究所所蔵)

明治30年
(1897年)

ロシアに留学

表 題:広瀬海軍大尉東京砲兵工廠等観覧の件
レファレンスコード:C03031073200
 ロシアに留学する直前の明治30年(1897年)4月、広瀬武夫が陸軍の砲兵工廠を視察した件についての公文書です。
(防衛省防衛研究所所蔵)

明治32年
(1899年)
ロシア駐在武官に任じられる
明治35年
(1902年)
日本に帰国
明治37年
(1904年)
3月27日、没(36歳)
3月26日付で中佐に昇進