愛媛県松山市提供

 日本海軍の参謀として、日露戦争では黄海海戦日本海海戦などに参加しました。 大正6年(1917年)に中将に昇進した後、翌大正7年(1918年)没。 享年49歳。
 秋山真之に関する資料は、当アジア歴史資料センターに収録されています。具体的に資料を探しだす方法は、以下のとおりです。

 1.「検索メニュー」画面に進んで、「キーワード検索」をクリックします
   (あるいは「キーワード詳細検索」でもけっこうです)。
 2.「キーワード検索」画面のキーワードに「秋山真之」と入力して
   「検索」ボタンを押します(「キーワード詳細検索」も同様です)。

 この方法で「秋山真之」をキーワードにして検索すると、2件の資料が一覧として表示されます。 あるいは「秋山」や「海軍」といった複数のキーワードを「キーワード詳細検索」画面で同時に入力して検索すれば、さらに多くの資料が表示されます。
 アジア歴史資料センターは、今後は海軍関係の資料の整備に重点をおく予定です。 秋山真之をはじめとする海軍士官にまつわる公文書を続々準備しております。

解説文や年表の中の下線の付された文字は、
細字は関連する資料に、
太字は用語集に、
それぞれリンクしています。

出  来  事
慶応4年
(1868年)
現愛媛県の松山に生まれる
明治19年
(1886年)
海軍兵学校に入校
明治25年
(1892年)

海軍少尉に任官
 秋山真之が海軍士官に任じられたのは、明治25年5月です。
(『坂の上の雲』文庫版第1巻、335頁)

表 題:東京湾砲台出入の件
レファレンスコード:C03030972600
 海軍士官が、東京湾にあった陸軍の砲台を見学する予定について記録した公文書ですが、その中に若き秋山少尉の名前があります。
(防衛省防衛研究所所蔵)

明治36年
(1903年)

第一艦隊兼 連合艦隊参謀に就任
 秋山少佐の就任と同時に、東郷平八郎が連合艦隊司令長官に就任しました。
(坂の上の雲」文庫版第3巻、135〜143頁)

表 題:『天気晴朗なれども波高し』
 日本海海戦の直前、秋山真之が作戦参謀を務めていた連合艦隊司令部が送った電報の受信記録です。
(防衛省防衛研究所所蔵)

明治38年
(1905年)
海軍大学校の教官に就任
明治44年
(1911年)
第一艦隊参謀長に就任
大正3年
(1914年)

軍務局長に就任

表 題:満州現状一斑
レファレンスコード:B03050177900
 秋山真之が中国満州の政治的・軍事的状況について論述した、大正2年(1913年)の調査報告書です。
(外務省外交史料館所蔵)

表 題:陸軍軍法会議法案協同調査委員任命の件
レファレンスコード:C02031680800
 陸軍の軍法会議の法案を審議する委員に、秋山真之を含めた数名の海軍士官を任命した際の記録です。
(防衛省防衛研究所所蔵)

大正6年
(1917年)

将官会議議員に就任

表 題:高等捕獲審検所長官、議定官、枢密顧問官細川潤次郎外十八名
レファレンスコード:A03023057700
 高等捕獲審検所長官、議定官、枢密顧問官など18名のリストです。リスト中に、秋山真之の名前があります。
(国立公文書館所蔵)

大正7年
(1918年)
没(49歳)