2020年は朝鮮総督府が設置されてから110周年にあたりました。およそ110年前、ソウル南山のふもとに設置された朝鮮総督府には、総督・政務総監がおかれ、総督官房・総務部・内務部・度支部・農商工部・司法部の部署が設けられました。朝鮮総督には軍事・行政・立法について広い職掌が与えられ、これを実行するには大きな統治機構が必要になりました。そのため、朝鮮総督府は過去に例がないほど巨大な機構として朝鮮に君臨し、それは1945年8月の日本の敗戦まで続きました。【画像1】は、朝鮮総督府の設置を公布した御署名原本です。
【画像1】『御署名原本・明治四十三年・勅令第三百十九号・朝鮮総督府設置ニ関スル件』(Ref. A03020863200) アジア歴史資料センターでは朝鮮総督府に関係する資料も多数公開していますが、その中には「朝鮮総督府刊行物」という資料群があります。今回はこの資料群から、朝鮮総督府資料の一部を紹介したいと思います。
アジ歴の資料群階層には、国立公文書館のツリーに「内閣文庫」フォルダが下がっています。内閣文庫は、江戸幕府から受け継いだ蔵書を中核とした文庫ですが、明治以降には、内閣の「図書館」として、植民地官庁も含め各省の官庁刊行物が収集されました。この内閣文庫フォルダの下に朝鮮総督府刊行物フォルダがあり、143件の朝鮮総督府由来の刊行物を見ることができます【注】。
ここに集められている刊行物は、明治から昭和の長い間に渡って、朝鮮総督府の各部署が作成・発行したものです。朝鮮総督府の正史である『施政二十五年史』はもとより、各種の年報や統計、また『朝鮮の小作慣習』や『朝鮮の年中行事』、『朝鮮の巫覡(ふげき)』など、庶民生活に関するものも多くあります。
さて、この中には一見すると朝鮮と関係のなさそうなものも含まれています。例えば、『愛蘭教育状況』や『独逸属領時代の波蘭に於ける国語政策』などは、アイルランドの教育やプロイセン領ポーランドの国語政策を調査研究した刊行物です。
なぜ、このようなヨーロッパの状況について朝鮮総督府が冊子を作成したのでしょうか。これらの冊子の発行年に着目してみましょう。『愛蘭教育状況』は1920年3月に、『独逸属領時代の波蘭に於ける国語政策』は1921年10月に発行されています。これは、それぞれ、朝鮮で大規模な独立運動が起きた1年後と2年半後にあたります。
この独立運動は、現在では「三・一運動」と呼ばれます。当時、朝鮮では独立復活を目指す機運が高まっていました。独立運動の計画は、1919年1月頃から京城(ソウル)の学生が考えていましたし、キリスト教や天道教の指導者は前年の11月頃から話し合っていました。1919年2月に東京の朝鮮人留学生が「二・八独立宣言」を発表したことも直接の刺激になりました。
そして、1919年3月1日午後2時、京城市内のパゴダ公園で学生や一般市民によって独立宣言書が読み上げられると、一斉に「大韓独立万歳」を高唱したデモ行進がおこなわれました。労働者はストライキを始め、学生は同盟休校に入り、商店も閉店ストをおこないました。独立運動は全土に広がり、憲兵と衝突して次第に抗争的になりました。アジ歴では『朝鮮騒擾事件関書類』という7分冊の陸軍省の資料を公開していますが、その中の「朝鮮に於ける独立運動」(『大正8年乃至同10年共7冊其1朝鮮騒擾事件関書類(密受号其他)』Ref. C06031080400)によると、京城市内のデモ行進に2000〜3000名の参加者があり、歩兵3中隊・騎兵1小隊を動員したとあるので、独立運動がいかに大きなものだったのかがうかがわれます。
【画像2】「午後二時半頃学生三、四千名ハ京城鍾路通ニ集会シ群衆之ニ付和シテ数組ニ分レ一団ハ徳寿宮大漢門前ニ至リ『韓国独立万歳』ヲ高唱シテ一時同門内ニ侵入シテ後同門前広場ニ於テ『独立演説』ヲ為シ」と報告されている。2ページ目2行目にある「三月三日挙行ノ国葬儀」は、急死した高宗の葬儀のこと。これに参列しようと地方から大勢が京城に来ていたため、デモ行進は多くの人で混雑したと言われる。
「大正8年3月1日 高第5410号 独立運動に関する件(第2報)」(Ref. C06031181000)
これ以降、朝鮮総督府は政治の転換をおこないました。海軍大将の斎藤実が新たに総督に就き、武断政治にかえて、「文化政治」を目指すことをうたいあげ、同時に、統治策として「内地延長主義」を採るようになります。これは、朝鮮人を武力で押さえつけるのではなく、協力を得ながら、やがて朝鮮を「内地」同様の姿に変えるという目論見を持っていました。こうした政策は日中戦争以降には「内鮮一体」としてより強化されるようになりましたが、『愛蘭教育状況』や『独逸属領時代の波蘭に於ける国語政策』は、ちょうど「文化政治」への転換期に刊行されたものだったのです。では、これらの内容はどのようなものなのでしょうか。
『愛蘭教育状況』は朝鮮総督府の学務局が発行したものです。第一編初等教育、第二編中等教育、第三編高等教育に分けられ、各編で教育委員会の役割に注目しながら、アイルランドの学校・学制・教科書・教員がどのように定められているのかが詳しく記されています。
19世紀初頭に英国に併合されたアイルランドでは、独立をめぐる紛争が長く続き、奇しくも朝鮮で独立運動が起きた1919年、ダブリンに独自の共和国議会が開かれ、独立宣言が発せられました。これを契機に、アイルランド独立戦争が勃発することになります。
『愛蘭教育状況』では、付録で「異国人同化の跡」と題して、英国がアイルランド人を「教化し同化した」教育方法を論じていますが、その導入部分で「朝鮮統治の任にある有司((ママ))の士にも取り他山の石とならば幸甚です」としているのは、「異国人同化」に対する朝鮮総督府の関心が見えるようです。
【画像3】『愛蘭教育状況』(Ref.A06032026600) 『独逸属領時代の波蘭に於ける国語政策』は、プロイセン(独逸)のポーランド政策の中でも国語(ドイツ語)政策に着目したものです。著者はヨーロッパ留学経験をもつ言語学者であり、日本の国語政策に携わった保科孝一という人物です。序文で保科は「予は植民地の統治に就ては、常に心憂して居るものであるから、独領ポーランドに関して従来の研究を略述して御参考に資することは、邦家の為、強ち無用の事でないと考へる」と記しているので、朝鮮統治策のためにポーランドの事例をまとめたといえます。
ポーランドは18世紀末にプロイセン・ロシア・オーストリアの3国に分割されましたが、たびたび独立運動が起こされ、特に1830年と1863年には大きな蜂起がありました。1918年、第一次世界大戦の勃発とロシア帝国の崩壊により、ポーランドは独立を回復しましたが、その翌年に三・一運動が起きたことを考えると、この冊子の刊行は示唆に富んでいるといえるでしょう。
この冊子の第一章総論には、「異民族を同化するには国語教育によつて進むのが最も安全で、而かも捷径である。即ち治者の言語によつて被治者を教育することは、彼等をして自然に帰服せしめる所以である」という一節がありますが、日本は朝鮮に対して、併合当初から同化主義を採っていて、国語(日本語)普及に関心がありました。帝国大学博言学科出身の言語学者である金沢庄三郎は、1910年に『日韓両国語同系論』という書物を出し、朝鮮語は琉球語と同じく日本語の「一分派」であることを証明しようとしていました。こうした背景を考えると、朝鮮総督府はプロイセンによるポーランド支配に大きな関心を寄せていたのかもしれません。
【画像4】保科は序文で、朝鮮に対して時宜にかなわないことを知ると「プロイセン政府に対する波蘭、英政府に対する愛蘭たるに至るかも図られない」と述べている。表紙に「秘」の印が押されているのを見ても、「文化統治」の進め方を慎重に調査していたことがうかがわれる。
『独逸属領時代の波蘭に於ける国語政策』(Ref: A06032047300)
「朝鮮総督府刊行物」には、他にも政策上の必要から作成されたものが多数あります。
例えば、三・一運動の関係では『朝鮮統治と基督教』(Ref: A06032002100)もそのひとつです。三・一運動以来、アメリカやヨーロッパの外国人宣教師は総督府政治への批判を強めていたので、朝鮮総督府は宣教師に対応する必要がありました。『朝鮮統治と基督教』はそのために調査研究した成果物です。また、先に挙げた『朝鮮の小作慣習』(Ref: A06032039300)は1929年に発行されたものですが、これには、小作争議が1920年代後半から激しさを増してきた状況がありました。
今回は、「朝鮮総督府刊行物」の一部を紹介しましたが、内閣文庫にはこの他にも「台湾総督府刊行物」や、「関東都督府・関東庁刊行物」、「樺太庁刊行物」、「南洋庁刊行物」などがあります。興味のある方はこちらもご覧下さい。また、総督府のような「外地」の組織にどのような部署があったのかについては、「アジ歴グロッサリー 公文書に見る『内地』と『外地』-旧植民地・占領地をめぐる人的還流-」に詳しい説明があります。そちらもぜひ訪問してみてください。
【画像5】統監府・朝鮮総督府、台湾総督府、関東州・満洲国、樺太庁、南洋庁など「外地」にスポットを当てたインターネット特別展。図や表から、官僚の経歴や組織の変遷を調べることができる。
「アジ歴グロッサリー 公文書に見る『内地』と『外地』-旧植民地・占領地をめぐる人的還流-」
【注】「朝鮮総督府刊行物」はアジ歴での資料階層です。国立公文書館デジタルアーカイブでは、「内閣文庫」>「和書」>「和書(多聞櫓文書を除く)」から見ることができます。
本稿では1945年8月15日までの呼称として、南北両地域を指す「朝鮮」を使用しています。
【参考文献】
趙景達『植民地朝鮮と日本』(岩波新書、2013年)
安田敏朗『「国語」の近代史―帝国日本と国語学者たち』(中公新書、2006年)
吉野誠『東アジア史のなかの日本と朝鮮 古代から近代まで』(明石書店、2005年)
松谷基和「朝鮮総督府の対キリスト教政策」(学習院大学東洋文化研究所『東洋文化研究』18号、2016年3月)
〈アジア歴史資料センター調査員 齊藤涼子〉