明治28年(1895年) 10月21日 台南が陥落・台湾民主国が崩壊
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【清国】 「劉永福鎮守臺南会同生番大勝」
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- 大英図書館請求記号: 16126.d.2(9)
- タイトル: 【清国】「劉永福鎮守臺南会同生番大勝」
- 明治28年(1895年)10月21日、台湾島西岸沿いの各都市を攻撃しながら南下を続けてきた日本軍の攻撃によって、台北が日本軍の占領下に入って以降の台湾民主国の中心地であり台湾民主国軍が拠点としていた台南が陥落しました。また、既に台湾を逃れていた初代総統の唐景崧に代わって台湾民主国と軍を率いていた劉永福が、日本軍の台南攻撃を前に清国に脱出したため、台湾民主国の体制もこの時崩壊しました。ここでは、台南で日本軍と台湾民主国軍が大規模な戦闘を繰り広げている様子が描かれています。
- [大英図書館請求記号: 16126.d.2(9)]
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関連公文書
- レファレンスコード: C08040626200 件名: 明治28年 台湾南部征討に関する陸軍の作戦計画及び戦況通報 本艦隊より総督府及南進軍への通報附戦利品及捕虜に関する雑書綴 常備艦隊幕僚(1)
- 明治28年(1895年)9月23日に、台南の攻撃を担うこととなった南進軍を率いる高嶋鞆之助陸軍中将が、常備艦隊司令長官の有地品之允海軍中将に送った、南進軍による台湾島南部の攻撃計画です。5画像目からの日程表からは、9月末から10月半ばにかけて、遼東半島にあった第2師団、台湾の基隆方面にあった混成第4旅団、そして台湾島北部から南下してきた近衛師団が合流し、10月31日から台南に対する3面からの攻撃にかかるという計画であったことがわかります。しかし実際にはこれよりも早いタイミングで日本軍による台南の占領が行われました。