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明治28年(1895年) 5月29日 日本軍が台湾北部に上陸

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  • 【清国】 「全臺紳民協助嚮銀公挙唐憲民主総統國號永清」

    全臺紳民協助嚮銀公挙唐憲民主総統國號永清
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    大英図書館請求記号: 16126.d.2(11)
    タイトル: 【清国】「全臺紳民協助嚮銀公挙唐憲民主総統國號永清」
    明治28年(1895年)5月29日、日清講和条約に従って清国から台湾の割譲を受けこれを平定するために、初代台湾総督となった樺山資紀海軍大将率いる日本軍が台湾島の最東北部に上陸しました。これ以降、割譲に反対する清国や台湾の人々と日本軍との間で、いわゆる台湾征服戦争(乙未戦争)が繰り広げられることになります。ここでは、台湾の割譲に反発する人々が樹立した台湾民主国において、清国の下で台湾巡撫(台湾の最高統治官職)を務めていた唐景崧が総統に推され、国号が「永清」に定められたという5月25日の出来事が描かれています。
    大英図書館
    [大英図書館請求記号: 16126.d.2(11)]
    本ウェブサイト内で使用されている版画類の画像はすべて大英図書館から提供されています。また、これらの画像はパブリック・ドメインに属します。
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  • 【清国】 「臺湾官紳会議不允割地」

    臺湾官紳会議不允割地
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    大英図書館請求記号: 16126.d.2(13)
    タイトル: 【清国】「臺湾官紳会議不允割地」
    明治28年(1895年)5月29日、日清講和条約に従って清国から台湾の割譲を受けこれを平定するために、初代台湾総督となった樺山資紀海軍大将率いる日本軍が台湾島の最東北部に上陸しました。これ以降、割譲に反対する清国や台湾の人々と日本軍との間で、いわゆる台湾征服戦争(乙未戦争)が繰り広げられることになります。ここでは、台湾の割譲に反発する人々が樹立した台湾民主国唐景崧総統や劉永福大将軍といった清国政府の官僚・軍人らと台湾先住民のリーダーたちが、台湾の割譲に反対することで合意している様子が描かれています。
    大英図書館
    [大英図書館請求記号: 16126.d.2(13)]
    本ウェブサイト内で使用されている版画類の画像はすべて大英図書館から提供されています。また、これらの画像はパブリック・ドメインに属します。
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関連公文書

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レファレンスコード: A03023348100 件名: 台湾総督被仰付 海軍大将 子爵樺山資紀
明治28年(1895年)5月10日に、樺山資紀海軍大将が初代台湾総督に任命された際の文書です。1画像目に、天皇による樺山の台湾総督への任命について、伊藤博文内閣総理大臣が天皇の裁可を求めた文書があります。
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レファレンスコード: C06062210500 件名: 自明治28年5月29日至同年6月9日台湾北部に於ける近衛師団戦闘詳報 附新竹縣方向偵察報告
台湾への上陸を行った近衛師団の戦闘報告です。台湾島東北部の三貂角と呼ばれる岬への上陸を行った明治28年(1895年)5月29日から、その後台北の占領を経た6月上旬にかけての近衛師団に属する各部隊の動きや戦闘の様子が詳細に記されています。
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レファレンスコード: B13090895300 件名: 台湾受渡に関する公文
明治28年(1895年)6月2日付で、日本の全権委員である台湾総督の樺山資紀海軍大将と、清国の全権委員である李経方元駐日本公使との間で調印された、清国が台湾を日本に割譲することを定めた公文です。なお、この調印は、日本軍の上陸地点(台湾島東北部の三貂角)の西北に位置する基隆の沖合の船上で行われました。