明治28年(1895年) 3月20日 下関で日清両国間の講和会議開始
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【清国】 「迎迓李傅相 前図」
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- 大英図書館請求記号: 16126.d.2(10)
- タイトル: 【清国】「迎迓李傅相 前図」
- 明治28年(1895年)3月20日、山口県の下関(当時は「赤間関」「赤馬関」「馬関」とも呼ばれました)にある春帆楼という割烹旅館で、日本の全権委員である全権弁理大臣の伊藤博文(内閣総理大臣)及び陸奥宗光(外務大臣)と、清国の全権委員である欽差頭等全権大臣の李鴻章(北洋通商大臣兼直隷総督)及び欽差全権大臣の李経方(元駐日本公使)との間で、講和に向けた交渉が始まりました。なお、講和会議開始から間もない3月24日に、李鴻章は路上で小山豊太郎(六之助)という人物から銃撃を受けて負傷し、一時会議の席から外れています。ここでは、李鴻章率いる清国の使節団がこの前日に下関港に到着した際に、これを伊藤博文らが出迎えている様子が描かれています。
- [大英図書館請求記号: 16126.d.2(10)]
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関連公文書
- レファレンスコード: B06150070300 件名: 李鴻章来朝
- 李鴻章が使節団を率いて日本に到着した明治28年(1895年)3月19日までの、日本側での様々な対応に関する外務省の記録です。2画像目から概要があり、これに続いて実際に交わされた電文などが収められています。22画像目に、駐日本アメリカ大使を通じて日本政府に伝えられた、李鴻章が清国側の全権委員に任命されたことを伝える清国政府の電文の日本語訳があります。その他、日本側の要員やその移動手段、清国側の使節団の人数や宿泊場所に関するやり取りが含まれています。また、149画像目には、3月19日に、既に下関に赴いていた陸奥宗光外務大臣が林董外務次官に送った電文があり、この日の朝に李鴻章の一行が下関に到着したことが伝えられています。