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明治28年(1895年) 1月20日 日本軍が山東半島に上陸

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  • 【日本】 「我軍占領栄城湾上陸之図」

    我軍占領栄城湾上陸之図
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    大英図書館請求記号: 16126.d.2(81)
    タイトル: 【日本】「我軍占領栄城湾上陸之図」
    明治28年(1895年)1月20日、前年の11月に旅順を占領していた日本軍は、清国艦隊(北洋艦隊)の拠点である威海衛の攻撃を行うために海路山東半島に進み、栄城湾からの上陸を行いました。ここでは、軍艦からボートに乗り換えて上陸を行う日本軍の兵士たちの様子が描かれています。
    大英図書館
    [大英図書館請求記号: 16126.d.2(81)]
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関連公文書

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レファレンスコード: C11080768500 件名: 海報第43号 27年12月27日 栄城湾偵察報告
山東半島への上陸が行われる1ヶ月近く前に栄城湾の偵察が行われた際の報告です。前半は、軍艦八重山艦長の平山藤次郎海軍大佐が連合艦隊司令長官の伊東祐亨海軍中将に提出した明治27年(1894年)12月27日付の報告で、艦船での栄城湾への侵入と陸軍部隊の揚陸の可否についての検証が記されています。後半は、常備艦隊参謀の釜屋忠道海軍大尉と西海艦隊参謀の吉松茂太郎海軍大尉が同じく伊東連合艦隊司令長官に提出した同12月26日付の報告で、栄城湾に加え、同じく山東角(山東半島の突端部分)の南側にある、愛倫湾、桑溝湾についても陸軍部隊の揚陸について検証を行っています。
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レファレンスコード: C06060356900 件名: 1月18日 大連湾 伊東聨合艦隊司令長官発 大本営宛
明治28年(1895年)1月18日に、連合艦隊司令長官の伊東祐亨海軍中将が本国の大本営に送った電文です。翌日の午後1時に陸軍の運送船を護送して栄城湾に向かって出発することが伝えられています。
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レファレンスコード: C06060273600 件名: 1月24日 大本営発 陸軍省児玉次官宛
明治28年(1895年)1月24日に、大本営が陸軍次官の児玉源太郎陸軍少将に送った電文です。栄城湾からの山東半島上陸作戦に参加した薩摩丸からの報告内容として、この作戦において、陸軍部隊の揚陸に先行して海軍の陸戦隊が上陸したことや、この時に清国軍からの攻撃があったこと、戦闘の後に順次運送船が到着し陸軍部隊の揚陸が進められたことが伝えられています。