1. ホーム
  2. メインページ
  3. 明治27年(1894年) 10月24日 日本軍が鴨緑江を渡河

明治27年(1894年) 10月24日 日本軍が鴨緑江を渡河

資料画像のご利用についてはこちらをご覧ください

※うまく表示されない場合は、ブラウザの更新ボタンを押してください

  • 【日本】 「我兵鴨緑江ヲ越ル」

    我兵鴨緑江ヲ越ル
    ズームアイコン
    ※画像をクリックすると拡大表示されます。
    大英図書館請求記号: 16126.d.2(96)
    タイトル: 【日本】「我兵鴨緑江ヲ越ル」
    明治27年(1894年)10月24日の夜間から25日の早朝にかけて、日本軍は朝鮮と清国との国境にあたる鴨緑江に橋(軍橋)を掛けて渡河し、清国領内に入りました。これに対し清国軍は附近の虎山に拠点を構えて迎撃を行い、鴨緑江支流の靉河沿岸などで激しい戦闘が起きました。これ以降、戦場は朝鮮国内から清国内へと移っていきます。ここでは、河岸で日清両軍の間の戦闘が行われている中で、日本陸軍第1軍の第5師団を率いる野津道貫陸軍中将が、馬を引きながら徒歩で渡河する様子が描かれています。
    大英図書館
    [大英図書館請求記号: 16126.d.2(96)]
    本ウェブサイト内で使用されている版画類の画像はすべて大英図書館から提供されています。また、これらの画像はパブリック・ドメインに属します。
    PUBLIC DOMAIN

関連公文書

PDF
レファレンスコード: C06061842900 件名: 鴨緑江を越え軍を遣るに要する人夫1万に駄馬2千等を送られん事を請求する 山縣第1軍司令官
明治27年(1894年)10月9日、鴨緑江渡河作戦を控えた第1軍を率いる山県有朋陸軍大将が本国の大本営の兵站総監である川上操六陸軍中将に送った電文です。荷物の運搬を担う軍夫(資料上では「人夫」)や駄馬に病気や死亡が相次いでいるが、これを補える環境ではなく、また鴨緑江を渡って清国領内に入れば現地での補充は不可能となると述べ、鴨緑江渡河前に人夫、駄馬、車(荷車)を送ってくれるように依頼しています。
PDF
レファレンスコード: C06062039200 件名: 鴨緑江架橋及び渡舟詳報 第1軍工兵部長 矢吹 秀一
第1軍鴨緑江渡河に際して、人馬や荷車、大砲を渡すための軍橋を河に掛ける作業を担った工兵隊を統括した工兵部長の矢吹秀一陸軍工兵大佐が、第1軍司令官の山県有朋陸軍大将に提出した、明治27年(1894年)10月31日付の報告書です。鴨緑江に架橋を行った際の、各工兵隊の作業の詳細が記されており、末尾には設置された軍橋の図面も含まれています。
PDF
レファレンスコード: C06061904800 件名: 陸参第52号 10月25日虎山付近 今払暁より鴨緑江を渡り虎山付近の敵を撃退 第1軍司令官
明治27年(1894年)10月25日の夕刻に、鴨緑江渡河を実施した第1軍を率いる山県有朋陸軍大将が本国の大本営に送った戦闘の報告です。この日の早朝のうちに鴨緑江を渡り終えた第1軍が虎山付近での戦闘を経て、次に九連城の攻撃に向かうことが記されています。