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本当です。しかし、実際には使用されませんでした。
日本最古の貨幣とされる、「富本銭」や「和同開珎」。
素材は銅や銀を使用していました。
現在の硬貨もアルミニウム・銅・ニッケルなど、金属を使用しています。
「硬貨は金属製」、そんなイメージを抱く人も多いかもしれません。
しかし、太平洋戦争末期には、「陶器」のお金を発行する計画がありました。
それでは、戦争遂行と硬貨の関係をみてみましょう。
1938(昭和13)年6月に「臨時通貨法」(Ref.A03022167600)が成立すると、これまでにない額面の硬貨を鋳造することが可能になりました。
意外かと思われますが、この「臨時通貨法」(Ref.A03022167600)は戦後も有効で、1987(昭和62)年に「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」が成立するまで、硬貨の根拠法として存続していました。
戦争を遂行するには、硬貨の素材として使用されていたニッケルや錫の確保が重要となりました。
日本はこれらの大部分を輸入に頼っていました。
また、造幣局はアジア諸地域の硬貨製造もおこなっており、製造能力にも限界がありました。
その結果、50銭銀貨は紙幣に改められ、ニッケルを使用していた10銭・5銭硬貨は、アルミニウム青銅が素材として用いられ、1銭青銅硬貨は黄銅硬貨に切り替わりました。
青銅は、銅・錫・亜鉛の合金でしたが、後者の黄銅は、錫を使用していませんでした。
銅の調達が次第に難しくなると、1940(昭和13)年11月には、1銭硬貨は純アルミニウム製とするように法令が改正されます。
純アルミニウム製の硬貨は、実はこの時はじめて製造されました。
アルミニウムは、航空機の素材として重要ではないのか、と思うかもしれません。
航空機の大量生産が始まるのは、太平洋戦争開始前後のことだったので、この段階でアルミニウムは、軍需素材としての需要に影響を及ぼさない素材と考えられていました。
しかし、太平洋戦争の拡大に伴い、1941(昭和16)年・43年には量目(重さ)が減らされました。
戦況が悪化すると、アルミニウム硬貨の製造が困難となることが予想されました。
そこで、登場したのが金属以外の素材を利用した硬貨でした。
金属以外の硬貨の研究は1944(昭和19)年に開始され、粘土と長石を主原料とする陶器の硬貨が案として登場しました。
1945(昭和20)年に入ると、陶貨の意匠の決定、衝撃または落下実験が繰り返されました。
同年4月には、京都市・愛知県瀬戸市・佐賀県有田町の3か所の工場で製造が開始され、約1,500万枚が作られました。
工場は民間委託で、3工場が製造した陶貨の粘土の調合は、それぞれ異なりました。
しかし、実際には使用されずに、終戦とともにほとんどが粉砕処分されました。
戦時中の日本では、硬貨の材料は優先的に軍需品の製造にあてられました。
戦後は、砲弾や薬きょうなどの軍需材料が硬貨の材料となりました。
やがて昭和30年代に入ると、1円・5円・10円・50円・100円という額面系列が揃い、1982(昭和57)年に500円硬貨が登場することで、現在と同じ額面系列となりました。
貨幣には長い歴史があります。
さまざまな時代の貨幣や、その貨幣が発行された背景を調べてみると、新しい発見があるかもしれません。