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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 工部美術学校は、工部省に設置された日本初の官立美術学校である。1873(明治6)年、工部省工学寮内に工学校が置かれ、授業が開始された。1876年11月には同じく工学寮内に美術学校が創設され、学科は画学・彫刻学の二科が設けられた。入学試験の結果を受けて、同年11月25日の規則改正により、彫刻科のみ奨励のため学資を官費支給とした。また同年12月14日の規則改正で女子の入校と、週3回午後半日の通学生の制度が定められた。1876年11月には予科・画学科・彫刻学科の三科に分け、予科修了ないし試験合格者が専門科に進めるものとした。1877年11月の工学寮廃寮により、美術学校は工学校が改称した工部大学校に属した。フォンタネージらの教授によって欧風画法の本格的な美術教育が実施されたが、1878年にフォンタネージが帰国すると、画学科学生が多く退学した。1882年6月には彫刻科を廃し、同年12月に工部美術学校を閉鎖、1883年1月に廃校した。卒業証書及び修業証書の授与者は35名。山本芳翠・浅井忠・小山正太郎・松岡寿らを輩出した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「工部美術学校」明治官制辞典 「工部美術学校」国史大辞典5巻1985 511頁~512頁(中村渓男) 「単行書・美術」(アジ歴Ref:A07090002400) 「工作」(アジ歴Ref:A07062255400) 金子一夫「工部美術学校における絵画・彫刻教育」(http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DPastExh/Publish_db/1997Archaeology/02/20600.html#text1、2018/07/20確認) |
歴代長官 部局長等 |
大鳥圭介(校長) |
御雇外国人 | アントニオ・フォンタネージ(伊、画学教師) ヴィンチェンツォ・ラグーザ(伊、彫刻教師) ヂョヴァンニ・ヴィヌエンツォ・カペレッティ(伊、美術予科教師) サン・ジョバンニ(伊、画学教師) フェレッチ(伊、画楽教師) |